玉川上水日記

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映画「八日目の蝉」

八日目の蝉
2010年 / 日本 / 監督:成島出 / サスペンス


どっちに肩入れしていいのかわからない。
【あらすじ】(ネタばれしてます。)
1985年。不倫相手の家で見つけた赤ん坊を衝動的にさらってしまった野々宮希和子(永作博美)。彼女は、その赤ん坊に「薫」と名づけ、自らの子として育てようと決意する。警察からの追跡を逃れ、謎の宗教団体エンゼルホーム、小豆島と逃亡を重ねる。しかし、ある事柄がきっかけで二人の居場所は警察の知るところとなり4年に及ぶ逃避行は終わりを迎える。

2005年。大学生になった恵里菜(井上真央)=薫は、誘拐犯の元から本当の両親に返されたにもかかわらず、実の両親と折り合いが悪く、実家を出て一人暮らしを始めていた。そこに過去の事件を取材する記者が現れたことがきっかけで、幼少期の事件と向き合うことになる。

【感想】
この映画、母子の愛情を描いてますが、どうも実の母親(森口瑶子)がひどく描かれていてそこが少しかわいそうだった。

「あんなひどい母親なのだから、誘拐されたとはいえ希和子の元で育ったほうが幸せだったのではないか」と思わせたいのかもしれないけど。実際、小豆島のシーンではそう思わないでもなかった。

ただ、実の母にしてみれば、夫は不倫し、子どもは誘拐犯が忘れられず、まったく自分になついてくれない。包丁は持ち出すしヒステリックになるし、ちょっとアレな性格だけど、こうまで捻じ曲がってしまったのも彼女のせいだけともいえないのではないか。

逃避行を続けながらも、希和子と薫はそれなりに幸せな生活を送る。ある日、それが引き裂かれてしまう。この映画を好きになるかどうかというのは、やはり希和子と薫の側に感情移入ができるかに尽きると思う。

映画の2時間という短い時間のせいもあるが、どうもそこまで誘拐犯側に肩入れできなかった。それよりも実の母親が哀れだった。しかしこの母親も性格がひどいので感情移入できない。まるで、興味がないチーム同士の試合を観にいってしまったようだった。「あ。なんか試合やっとる。どっちもがんばれ~」という心境。

脇役に劇団ひとりが出ていた。演技はうまいと思うのですが、ふだんのバラエティのイメージで観てしまう。薫(井上真央)とのキスシーンもある。

「俺、井上真央とキスしたぜー!」と芸人仲間に自慢してるだろうな~。してるね、絶対!と思って、なんだかちゃんと映画を観られなかった。劇団は悪くない。わたしがいろいろ想像してしまい、上の空になってしまった。

薫とのベッドシーンも「げ、げ、劇団がベッドシーンをしとる!」と、なってしまった。集中しろ。

小池栄子も、薫を旅に連れ出すライターという重要な役で出ていました。臆病なのに無礼という変人をごく自然に演じていた。小池栄子がまだ産まれてもいない薫の子を「一緒に育てる」というシーンは原作では感動的なくだりなのかもしれない。

ただ、やはりそのシーンも「え。そんな、他人の子を。そこまでして育てるの?」という感じで観てしまった。どうも、全体的に入っていけないかんじである。何かこう「作り手はわかっているが、観る側にそれが伝わりきっていない」という部分が多いように思った。

この話は、誘拐犯と子の間に芽生える、実の親子よりも親子らしい愛情がテーマだと思います。その始まりの歪さというのは十分に理解しつつも、この二人を引き裂かないでほしいと観ている側は思うという。でも、その始まりを許容はできないし、そこまで入っていけないというのはこの映画に原作から抜け落ちてしまった何かがあるような気がする。

それはとても重要な何かなのだろうけど。原作やドラマは評判がいいようなので、そちらをみるとまた違った印象なのかもしれない。

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