玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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毛虫

▼朝、お世話になっている会社へ向かっていた。いつもより時間があるのでのんびりと遠回りをする。雑居ビルが立ち並ぶ中に、そこだけぽっかりと開けて、置き忘れられたような畑があった。もう収穫されてしまったのか、何も植えられている様子はなかった。

剥き出しになった土の中に目を惹くものがある。近寄って覗き込むと毛虫だった。なんだ害虫かと思い、行き過ぎようとした。ゆるゆると動いていた毛虫がぴたりと動きを止めた。わたしの心のつぶやきが聞こえたかのようだった。

害虫といっても、それは人が勝手にそう呼んでいるだけで、虫からしてみれば地球からしてみれば人こそ害人であろう。なにやらそんなふうに怒られた気がした。よくよく毛虫を見ればたいそう変わった色合いである。甘い甘いカボチャの煮物のような柔らかい橙色と新緑の緑色とで縞模様を作っている。しばらくその美しさに見惚れた。

と、次の瞬間、真っ白な猫が飛び出してきて毛虫をひっさらうようにくわえ、駆け抜けて行った。唖然として猫の後姿を見送るしかなかった。畑を斜めに横切った猫は、くるりとこちらを振り返った。おまえには大切なことは何も教えてやらぬ。そう言われた気がした。猫は面白くなさそうに一瞥をくれた後、家と家との隙間に消えていった。後には何も残らなかった。

▼なにこの中途半端な昔話みたいな始まり方。

▼で、たんに毛虫と猫を見て会社に着いたのだ。仕事に飽きて休憩所にいくと、よその部署のYさんがいた。Yさんなりの同僚との親しくなり方を教えてもらった。「多少使えないやつと思っても、簡単な仕事をさせて褒めてやればすぐ親しくなる」ということだった。

仕事を頼まないよりも、簡単な仕事を頼んだほうが親しくなりやすいというのはよく聞く話である。しかし、なーんだろー、こういうのは。あんまり、使えるとか使えないという言い方は品がよくない気がする。わたしを「使える」と判別してもらって、こういう話をするのかもしれないけど。

使えるとか使えないとか言い出すと、自分もより使える人からは「使えないやつ」と思われていることになるからなあ。なんだか、あまり好きではない考え方。あと、そういったノウハウを公開したことで、以後Yさんが人に仕事を頼むときは「ああ、あのノウハウを使ってんだな」と思ってしまうだろう。お礼を言われたとしても「計算してんだろうな」となる。ノウハウというのは、公開されたらノウハウではなくなってしまう。

これからYさんが計算なく何かをやったとしても、わたしは色眼鏡で見てしまうだろう。ノウハウというのは言わないほうがいいし、言うとすればもう会わない相手にだけ言ったほうがいいかもしれない。だから、Yさんはわたしを殺したほうがいいと思います。なに言ってんの。

しかし、人を使える使えないと考えるのは危険かもしれない。それを直接言わないにしろ、そういった感情は相手に伝わる瞬間があるのではないか。それは頭の良し悪しで隠し通せるものではなく、滲み出るものだ。さておき、わたしの心の中では、Yは性格最悪となったのであるからして、わたしもいろいろ気をつけようと思いました。

▼読み返してみたが、性格最悪というのは言い過ぎではないか。むしろ下町の親父のように口は悪くても親切で面倒見がいい人かもしれない。Yさんについては、性格最悪かも、と修正した。あんまり変わらない。

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