玉川上水日記

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映画「フローズン・リバー」

フローズン・リバー
2008年 / アメリカ / 監督:コートニー・ハント / 人間ドラマ

愚かというのは簡単だけど
【あらすじ】
ニューヨーク州最北端の町。貧しい生活の中、新居の購入費用を貯めていたレイ(メリッサ・レオ)はギャンブルにはまった夫にその購入費用を持ち逃げされてしまう。二人の息子を抱え、苦しい生活に希望を見出せないレイは不法移民の密入国に手を染めてしまう。

【感想】 ネタバレしてます。
すごく良くできた映画だと思いました。公開当初、日本で配給会社がつかなかったということに驚きました。でもそれは、あまりにも今の日本の現状に似通っているためかもしれません。重苦しいのは現実だけでたくさんだという。実に閉塞感のある話でした。格差社会と貧困、そしてくすぶり続けている人種差別。

生活苦から不法移民の密入国に手を貸してしまうレイ。その姿は共感できる反面、拭いきれない違和感も残る。というのは、家に大型テレビがあり、それをレンタルで借りている。テレビのレンタルという商売があるのも驚きですが、なんでそんな大型テレビをお金を払ってまで借りるのか、小さな中古のテレビでも買えばいいんじゃないかと思う。

そして今のトレーラーハウス暮らしがそんなに不便にも見えないのに新居の購入をしようとする。なぜこうも消費に狂っているのだろうか。物で幸せが買えると信じ込んでいる。そりゃ、お金がまったくなければ大変だけど、じゃあ罪を犯してまで消費しましょうってのは異常である。

異常なんですけどね、この映画、犯罪に加担していく様子をすごくスムーズに描いているんですよね。たとえば職場で努力しても報われない感じだとか。毎日遅刻してきて、仕事にまったく熱心ではない若い従業員のほうが自分よりも認められているとか。それは、彼女が若いからというだけなんですよね。彼女の腰には刺青が入れてあって、この映画の主人公のレイも刺青を入れている。

でも、レイはもう歳をとっていて肌も衰えていて、刺青も物悲しく見えた。生活に疲れた感じがよく出ています。きっと、この同じ職場の彼女は過去のレイなのだろう。そして、若いだけで何も考えてなくて、やがては今の自分のようになってしまう。いやあ、もう、この映画ね、本当にここらへんがうまい。怖い。

職場では認められず、支払には追われ、ダンナはギャンブルに狂って行方不明。先の見えない暮らしの不安、そして二人の子供達の世話もしなければならない。でも不思議なことにこんな状況でも彼女は家を買おうとする。いや、こんな状況だからこそ家にすがっているのかもしれない。

物を手に入れれば豊かな幸せが待っていると思っているのかもしれない。それはレイの長男も同じである。詐欺で老人をだまして弟のクリスマスプレゼントを手に入れようとする。母と長男の幸せの基準は、人ではなく物(お金)でしかない。で、それを観ているとちょっとどうなのかという気分になる。

だけど、それがものすごく高い所から物を言っているのだと思う。彼らの価値観はたしかにおかしいが、お金で苦労している人に「人生お金だけじゃないよ」みたいなことを言っても、その言葉はまったく届かないだろう。そういうことを言う人間は、ある程度お金がある人間なのだから。

物があれば幸せというのは一種の呪縛だが、その呪縛が解けるのはある程度裕福になってからである。生活の苦しい人は、考えを逆転させるような哲学を持つこと自体も難しいし、第一そんなことに興味はない。日々の生活に追われ、すべてを受け付けなくなっている。それがこういった問題の難しいところかもしれない。

この映画に出てくる登場人物はたいてい間違った方向に行ってしまう。主人公のレイもそうだし、相棒のライラ、レイの長男。ああ、そっちじゃないんだよなと思いつつも憎めないのは、彼らがみな家族のことを思っていて、それゆえに間違った方向に行っていることにある。ただ、最後の最後に踏みとどまることができたのが一筋の救いかもしれない。

とにかく重苦しい映画でした。お薦めです。観ると憂鬱になります。うーむ、トリクルダウンとは。格差社会とは。グローバリストとは。うーむってなり、具合が悪くなる。それは、お薦めといえるのか。


それとここに出てくる人種差別は、過去の白人対黒人というものとはまったく別に見えた。社会的弱者がさらなる弱者(不法移民、原住民など)を目の仇にするような、先進国の移民排斥に似たものを感じる。それもまた貧しさからくるものなのだろう。
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