玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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憲法記念日

向田邦子の「父の詫び状」を読んでいる。作中の父親はよく怒鳴り、殴り、暴れ、でも優しい一面も持っている。著者も過去のことだからこそ笑って書けたものの、当時はだいぶ困ったことと思う。ひょっとして父親を嫌っていたかもしれない。

人を心から許せるというのは、その人と会わなくなれば許せるのかもしれない。死んでしまうというのが一般的なのだろうけど。現在、接している人間は嫌なところも見えるし、こちらに迷惑もかけてくる。過去の人間はこちらに危害を加えることはない。もう安全を脅かされることはないし、だから許すこともできる。

長所も短所も含めてその人で切り離すことはできない。コインの裏表のようなものだ。だが、現在接している欠点がある人をそのまま受け入れて許すというのはなかなか難しい。ならばいっそこの手で、すべてを許せる美しい思い出に‥‥グフフ‥‥。

いい話になりそうなのに殺害計画を立てる、をお送りしました。

▼「いい人間は死んだ人間だけだ」というセリフの意味がわかったような気がする。

憲法記念日ということだからか、大日本帝国憲法についての番組で「私擬憲法」が取り上げられていた。恥ずかしながら私擬憲法という言葉をまったく知りませんでした。恥ずかしながらって、本当に恥ずかしいと思ってたら使わないよねー。なんだ急に。

私擬憲法というのは、大日本帝国憲法発布前までに民間で検討された私案の憲法です。55もの私擬憲法が現在まで発見されているそうだ。明治の人間はあちらこちらで勝手に自分の憲法を考えていたんですね。なかには現在の憲法に謳われている基本的人権と同じ意味を持つ条文が盛り込まれているものもあり、その先進性に驚く。

そして明治の人間の自発的かつ行動力に溢れた姿勢がすばらしい。ないから作っちまおうというのは自然な発想かもしれないけど、憲法作るっていう志の高さ、積極性がすごい。

どうも現代は他責的な風潮が強い。政治家や時代、社会の構造を責めることには熱心だが、こうしたらどうかという提案をすることは少ない。提案をするような人はとっくに何も言わずに動いているのだろう。他人に石をぶつけるだけの係なんて本当は存在しない。まあ、わたしはけっこうな速度で投げますけど。

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