玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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ビフテキ

▼昔、貧しかった頃に食べた物が美味しくて思い出に残っている。そして、ある程度お金ができてから再び食べに行ってみると、そんなに美味しくなくてがっかりした。そんな話はよくあります。

思い出補正というんでしょうかね。最初に食べたときの驚きが大きかったことで、印象に強く残っているのかもしれません。それと現在はいろんな物を食べていて舌が贅沢になれてしまっているのかもしれない。

で、わたしが小学生の頃はステーキへの憧れがありました。ビフテキという言葉があったもの。最近では聞かないけど。もうどれだけ憧れていたかというと、紙を肉の形に小さく切り抜いてクレヨンで茶色に塗ってビフテキということにし、それを筆箱に入れて持ち歩いていました。この尋常ではない憧れ。どうだと言いたい。バ、バカじゃないよ!僕はバカじゃないよ!

言えば言うほど怪しい。で、そんな頭が残念な具合の頃、わたしの父は事業に失敗しており家は貧しかったようです。役所の人間が家の家具に差し押さえの紙を貼りに来たこともありました。でも、わたしには貧乏で苦しんだとか、そういう記憶がまったくないんですよね。頭が残念な出来だったこともあり。

貧しかったのでふだんたいした物を食べてないわたしを不憫に思ったのか、茶色の紙をステーキと言い張っていることに不安をおぼえたのか、ある日、父がステーキを食べに連れて行ってくれました。もうね、筆箱にステーキを入れるほど憧れていたわたしですから、ステーキチルドレンのわたしですから狂喜乱舞です。嬉しさのあまり発狂。ステーキダンスを踊りました。まだ憶えている。

店の名前は憶えていますが仮に「ホークス」としておきます。フォルクスというステーキチェーンとは関係ありません。チェーン店ではなく個人の店です。喜び勇んでホークスに行ったものの、そのステーキがね、まあ固いの。靴底食べますか、ホークスのステーキ食べますか、どっち!っていうぐらい固い。固かったわー。

ちょっといい話になりそうで、全然そんなことない話である。まあ、そんな思い出のホークスですが今行ったらどんな味なんだろうと気になっていました。はたして、まずかった物はどのような思い出補正がかかっているのか。今、食べればやはりまずいのか、よりいっそうまずいのか。

家からそんなに遠くないところにあり、店が存続しているのは知っていたので行ってきました。店構えも30年ぐらい前と変わらず西部劇に出てくるっぽい造り。当時はやはり一番安い値段のものを頼んだのかもしれない。今回ももっとも安い900円ぐらいのを注文。出された肉を食べてみたら、そんなに固くないんですよね。あれ、意外と食べられる!靴の底じゃない!という。失礼だ。

あれから30年ぐらいたつから、いろいろと改善されたのかもしれない。やや固いんですがお値段なりの味でした。思えば「まずい」ってことはそんなに悪いことじゃないんですね。もちろん当時はまずくてがっかりしただろうし、うまいにこしたことはない。でも、普通だと印象にもそんなに残らない。

まずければ「あんときの肉はまずかったー。靴底食べに行ったと思ったら肉が出てきたよ、運がいい!」と笑うこともできる。まずかったという悪い記憶が幸せな記憶に変わることもある。うまいまずいはたいした問題じゃなくて、誰かと一緒に時間を過ごすというのが大事なんだろうなあ。

父と一緒に、今回の「まずいかどうか確かめに行くツアー」をやりたかった。貧しくて外食などほとんどできなかったときにステーキ屋に連れて行ってくれたこと、あのときはありがとうと言いたかった。父は5年ほど前に病気で亡くなっていますが、ふとそんなことを思いました。

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