玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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呪い

▼仕事関係で、バレンタイン用の見本としてチョコを頂いた。生チョコだと思うのだけど、とても美味しい。フランス製の高級品らしい。本来ならば奇麗にラッピングされて、デパートで6個2000円ぐらいで売られるような品である。

それをおっさんから頂きました。おっさんからおっさんへ。チョコも成仏しきれまい。チョコといえば校舎裏に呼び出されてオズオズ渡されてなんぼではないか。それをヒゲ面のおっさんに「これ、見本な」と、なんのへんてつもないビニール袋に山ほどもらった。チョコがかわいそうである。浮かばれない。

いっそ、このチョコを14日にわたしに渡すバイトを雇うべきではないか。それがチョコのためではないか!と熱弁をふるえば、周りの視線が冷たい。

▼今年はあまりネットに触れないで暮らしていこうと年初に決意を固めたのでした。それというのも、人を罵倒する言葉が増えているような気がしてならない。まあ、そんなとこに近づかなきゃいいんだけど、そういった言葉は力があるのでついつい吸い寄せられてしまう。

で、読み終わった後にエネルギーを吸い取られて、どっと疲れた感じになる。昔の人が言う言霊のようなものがあるのかもしれない。

怒るには怒るなりの理由があるのはわかるのだけど、怒り方にも作法があるというか、品というか芸というか、そういったものは感じられない。で、結局「死ね」とか悪意ある言葉を並べてしまうのだろう。罵倒するにも、それ相応の技術がある。そういうのを追求してほしい。いや、罵倒しなきゃいいのか。

言葉の力というのは侮れないと思う。一種の魔法のようなものだろうか。一言で人を喜ばせることも悲しませることもできる。正にも負にもフィードバックが働くとしたら、ネット上に溢れた呪いの力というのは相当大きな影響を及ぼすのかもしれない。

▼そういえば以前に友人が「死ね」という言葉が羅列されたメールを受け取った。そのメールが画面に表示されたときは、けっこうゾッとした。

だが、あの言葉は最初の一行ぐらいは手打ちかもしれないが、あとは全部コピペなのではないかと思う。それを考えると、そんな怖くもない気もするんですね。変な話ですが。薄い呪いというか。

最後の行に「これは一つ一つ悪意を込めて手で打ちました」と書いてあるとかなり怖い。

なにその無用な手作り感。