玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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恋愛あるある映画 (500)日のサマー

▼(500)日のサマー / 2009 米 運命の恋を信じる気弱で冴えないトム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)と、ちょっと変わり者で運命など信じないサマー(ズーイー・デシャネル)の500日間の物語。 よくある恋愛物は、当初お互いに誤解をしていたとしても、その価値観は実は似ている場合が多い。だから誤解が解けたらうまくいくのだろうけど。トムとサマーは見ている方向が違う。トムはサマーとの関係を確かなものにしておきたがるし、サマーは彼氏彼女という型に捉われず自由でありたいと思う。 サマーの自由すぎる振る舞いはトムにとって奇矯なものに見える。そんなエキセントリックな彼女に振り回されているトムの姿がとても微笑ましい。彼女と一線を越えた次の日、世界は自分のためにあって道行く人の誰とでもハイタッチして踊りだしたくなる感じ、彼女の何もかもが素晴らしく思える感じ、また逆に関係がうまくいかなくなったとき、世界が真っ暗になって彼女の何もかもが嫌になる感じ。 恋愛による心の浮き沈みは過剰に表現されているものの、誰しも思い当たるかもしれない。などと他人事のように書いてみました。まあ、思い当たるね! サマーはたしかに掴みどころがないし変わっている。だから、サマーを嫌いな人は多いかもしれない。一方、トムのやられっぷりというのは、かわいそうだけどおかしくて親しみがもてる。でも、僕にはトムの振る舞いのほうが気になった。 トムは建築家を夢見てたものの挫折してカード制作会社で働いている。それはべつに悪いことじゃない。立派な仕事だし、社長や同僚も気のいい人である。問題なのは、トム自身がその仕事をバカにしていることだ。バカにしているがパーティーで会った人には「カードはあとあとまで残るし、すばらしい仕事だ」などと言ったりする。 サマーはトムの心の内にある建築家への未練に気づいているが、無理にその道を勧めたりはしない。なにせ、生活をしていかなくちゃならないし、夢と能力が釣り合わないというのは残念だけどよくある。問題なのは、彼がそのことにまったく納得できていないことである。そして、サマーはその忸怩たる想いを抱えるトムを見透かしていたのではないだろうか。というか、「こいつと付き合っていても先はないな」と思ったのかもしれん。そこもすれ違いの原因の一つになったように見える。 で、あっさりとトムを振って、他の男と運命の出会いをして結婚してしまうサマー。「運命の出会いなんてないとか言ってなかったっけ?」トムにすれば、なんで?なんで?の連続ではないだろうか。ああ、実にかわいそうな。でもちょっと笑えるのだった。 その後、トムはカード会社を辞めて建築家への道を目指し、サマーは結婚して主婦になった。その二人の再会の場面がとても良かった。トムは、サマーの運命なんて信じないという価値観を理解するようになったし、サマーは逆にトムの運命を信じる価値観を理解するようになっていた。失恋がお互いを成長させるという温かいメッセージに満ちているように思えた。 そして、トムがサマーに言った「君の幸福を祈るよ」という言葉がとてもすてきに聴こえた。まだサマーのことが忘れられず、でも好きな人は自分以外の人を好きになってしまった。でも、しかたないんだ。せめて彼女の幸せを祈ろうという。ええ男やないか!成長したのう、トム!飲みに行くか、酒おごっちゃる!そう思いました。ちょっと泣きそうになった。 まあ、そのあとにオータムに出会ってすぐ口説くあたり、さすがトムです。成長したトムは一味違う。でも、オータムのあとにウィンターが来て、さらにスプリングまではちょっと遠い。それを考えると、トム、大丈夫なのか。心配。  いい映画の条件の一つは、観た後に誰かと感想を話し合いたくなることだと思う。久しぶりにDVDを買おうかどうしようか考えています。
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