玉川上水日記

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江戸の下半身事情 / 永井 義男

▼大きい石をひっくり返してみたら見たこともないような変な虫がいてギョッとするような感覚というか、教科書では取り上げられないような歴史の側面が垣間見られます。現代人の感覚とまったく異なる部分があり、そのギャップが興味深いです。本書にあったエピソードをいくつか紹介してみます。 小間物屋の女房のお杉が若い頃に武家屋敷で下女奉公をしていた。しかし、それを隠すため見栄を張って、昔は女郎だったと彫り物(○○命など、二の腕に彫った刺青)を見せびらかしていた。武家屋敷の下女奉公より女郎だったほうが世間体がよかったという、ちょっと今では考えられない感覚である。 遊女というと、その職業を恥じて生きているかと思っていたのですがこの本をみるとどうもそうではない。というのも、現代では基本的に本人の自由意志で売春を行うが、江戸時代は生活苦から親が幼い娘を妓桜に売っており、その事情を世間が知っているため、遊女は「親孝行をした女」と理解するのが江戸の一般的な社会通念だったとある。 その他にも、妾が職業だっというエピソードが紹介されている。口入屋という職業斡旋所を介して、富裕な商人などが年季と給金を取り決め雇い、きちんと契約の証文を取り交わしたとある。 この本で印象的だったのは、江戸時代に対する現代人の過大な評価についてである。著者が前書きで触れているが、江戸時代はエコでリサイクルが発達していたとか、たしかにそういう面はあるものの、それにはそうせざるをえない環境に置かれていたにすぎない。むしろ制約のほうが多い。 人身売買や身分制度、刑罰の軽重の偏りや、プライバシーの無さ(長屋なので周囲に音が筒抜け)、風俗産業で働く人間の性病の蔓延、水銀などを用いた危険な中絶方法など、とても江戸時代が理想的な時代だったとは言い難い。ただ、その環境からくる開けっぴろげさというか、ある種の開き直りや諦めなども想像することができ、ある面では伸びやかさもあったのではないかと憧れを深めもした。 英雄や豪傑はまったく出てこない。だが、大火で家が焼き払われても、さっさと次の家を作り出すような江戸の庶民の力強さ、したたかさが本書の端々に満ちている。そういった庶民の歴史を知ることで、さらに歴史理解に厚味が増すように思えました。まあ、人間は時代は違えどおんなじような事をやって生きてきたんだなあと、呆れるようなホッとするような気分になれました。