玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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パーティー

▼おこたを出しました。暖かくて幸せである。コタツに入って蜜柑を食べながらウダウダする。これ以上の幸せがありましょうか。いや、ない。実に野望のない人生。ライバルは猫。あいつらには負ける気がしない。わたしのほうが猫より芸がうまい。

▼ある会社の創立何周年だかのパーティーへ。とても華やかで、わたしのような人間には場違いである。この会場に来るときに見つけたボロい中古ゲーム屋のほうがよっぽど似合う。あそこには住める。

しかし、男性はスーツだからまだ楽なものの、女性はこういう時は大変である。髪を上げたり、ドレスを着たり、いつもとは違う。こういうわずらわしさを大変ととらえるか嬉しいととらえるかで、人生を楽しめるかどうか大きな分かれ道になるような、そうでもないような。

言うことがないなら黙ってろ、をお送りしました。

▼隣のテーブルではTPPへの参加の是非や、中国のあとに大きくなる市場はインドやベトナムであるとか時事問題について熱心に会話が交わされていた。特にインドは英語を話せる人口が多い。アメリカがIT関連の仕事をインドに委託し、アメリカ人エンジニアが失業しているという記事は何年か前によく見かけた。

グローバル化といわれるが、日本は日本語によって守られており言語上はグローバル化しているとは言いがたい。だが、英語を話せる人口が増えることによってこの競争に直面しなければならない時代が来るのだろう。

すると、委託可能な簡単な技術仕事は海外委託され、より高度で技術的な仕事だけが国内で必要とされる。だが、そんな高度な仕事に就ける人材を多数確保できるのだろうか、また確保できたにしろ高度な仕事にそこまで多数の需要があるのか、そしてそこからこぼれてしまった人たちの雇用は保たれるのだろうか。

そういったことが頭の隅に浮かびながら、こちらのテーブルでは別な話題で盛り上がっていた。

「SMのときに奴隷がつける首輪は、ペットショップで売っている物は買わないほうがいい。専門店で買うべきだ」ということである。首輪の内側にノミ・ダニ避けの薬が塗ってある場合があり、それがかぶれの原因になるらしい。なんにでも専門というのはあるのだと感心した。

隣のテーブルから刺すような視線を感じた。こちらのテーブルで、ノリノリでSMについてしゃべっている人がいるからである。たしかにこの場に相応しくない話題である。しゃべっている人は、睨んでいる人に背を向けているのでその視線に気づいていない。よって、聞いているだけのわたしにその視線が向けられている。

睨んでいる人からすれば「おまえもそのテーブルにいるんだから、おまえが注意せえよ」ということなのだろう。しかし、わたしはこのしゃべっている人と初対面なのである。

中学校の頃、体育館に集まったときに「集合が遅い」というので先生に説教されたのを思い出した。あのときの状況に似ている。

その先生はかなり怒っていたのだが、「集合が遅い」と怒りの対象になっている生徒はまだそこに来ていないのだった。もう集まっている集合の良い人間が怒られるとは、人生はかくも理不尽である。そのことをしたり顔で指摘した友人K山は、その体育教師にビンタされた。だいたい、こういうときにビンタするのは体育教師である。人生は理不尽に満ちているということを教えてくれたのだろう。これぞ教育である。単にむかついただけともいう。

話が逸れすぎた。結論として、SMは信頼関係が大事という話をうかがいました。勉強になりました。次はもう少し小声でお願いします。

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