玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

このブログの内容はすべてフィクションです

わからない

▼仕事を請けている会社にお邪魔した。

男性社員の一人が結婚することになったそうである。彼を囲んで、女性社員二人(いずれも独身)とわたしで結婚相手がどんな人か聞いていた。彼は丁寧で堅実な仕事をする人である。彼が選んだ人だから、相手もしっかりした人なのだろう。

「べつに特技があるわけでもなくて、ごく普通の人ですよ。家庭的といえば家庭的かなあ」

それまで「家庭的」という言葉について考えてみたことはなかった。家事が得意とか、子どもが好きとか、そういうことなのだろうか。よくわからない言葉である。肉ジャガが得意とか、そういうことかな。

一緒に話を聞いていた女性二人は家庭的という言葉を聞いて、納得したようなそうでもないような、曖昧な反応をしていた。なんだかその様子がおかしくて笑ってしまった。

「はっはっは!非家庭的な人たち!」

彼女たちを指差してそう言ったら、そのうちの一人から人差し指をつかまれて、曲がらない方向にギュイーッと曲げられた。ごめんなさいしても、なかなか離してもらえなかった。あれは本気で折りにきてた。目が笑っていなかった。こちらが本気で痛がる様子を心の底から面白がっている。これだから非家庭的な人間は恐ろしい。やつらの血は緑色である。

毎朝、通行人を一人、笑顔でボッコボコにしてから出社しているとか、そんな感じがする。それが日課である。そうに決まっています。わたし見たんです。非家庭的な人間はそれぐらいやります。

▼「わからない」ということについて考えています。

しばしば、わからないことに出会いますが、わからないとはなんだろう。わからないって一つではないように思う。わからないにもいくつか種類がある。

1 知らない

2 手段がわからない

3 何がわからないかがわからない

大別するとこの3つだと思う。1は知識についてである。例えばパンがあるとして、その名前を知らないとか、パンが何かをしらないというもの。これはネットで検索すればわかるようなことである。

2は、パンを作るとして、小麦粉や水、バターなど、パンの材料が揃っていてもどうやってパンを作ったらいいかわからないという手段の話である。つまり、答えが見えているのにそこに至る道が見えないのだ。

3は、問題が見えてない状態である。例えば、いま死にそうな人がいるとする。その人はなんで死にそうなのかがわからない。そして、その人は空腹で死にそうだとする。そうするとパンを食べればよいという答えが導ける。この「空腹である」という死の原因となる理由がわかれば答えはすぐに出てくる。

答えを出すのが難しい問題、それは人間関係だったり、放射能の不安に対してどう行動するかだったり、そういう複雑な問題は3の「何がわからないのかがわからない」というケースではないかと思う。

じゃあ、この3を解決するにはどうしたらいいのか、問題を探すにはどういう方法があるのか、その具体的な手段は何かを考えていた。これを書くと長くなりそうである。まだ人にうまく伝えられるようにまとまっていない。簡潔にわかりやすく伝えられるよう整理できたら、いずれ書きたいです。

JUGEMテーマ:日記・一般