玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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▼仕事を請けている会社で打ち合わせ。 会議室で待っていたけど時間になっても誰も来ない。以前にいっしょに仕事をしていたTさんがやってきた。どうやら前の会議が少し長引いているという。ヒマそうにしていたら話し相手になってくれた。 お互いの最近凝っていること、他愛もない世間話など、以前はよく話していた。そういう何気ないやりとりが懐かしい。仕事を終えてふと思えば、我々はなかなかよいコンビだったのではないか。 「そういえば、しゅんさん(わたし)が昨日夢に出てきて……」 誰かの夢に出てきたと聞くと、すこしドキッとする。なんだろう。おや、これはひょっとすると告白されるのかな。うっすらとそんな予感がした。そうか、そういう展開もあるのかと、しかしそれほど驚きもせずにそれを受け止めることができた。むしろこんなに静かな気持ちでTさんの話を聞いている、そのことに軽く驚いていた。どこかで、そんな可能性を想定していたのかもしれない。 「会社で二人だけで仕事をしてるんです。わたしは仕事をしているのに、しゅんさんはなぜかお盆の前に載せられた大量の、本当に山盛りのハンコをモリモリ無表情で食べているんです。それが本当に気持ち悪くって!これ、どう思います?」 どう思います?って「知らねーよ」以外の答えがありますでしょうか。それか「今日のところは様子を見ましょう。じゃ、次の患者さんどーぞ!」など。もう話しかけないでください。 ▼ホラー映画って誰を対象に作られているのだろう。 怪物や殺人鬼の犠牲者として、いちゃついているカップルが犠牲になることがよくある。ホラー映画であるからにはやはり誰かが犠牲にならなければならない。観客にあんまり真剣に「かわいそう……」と思わせるのもまずい。ざまあみろと思うぐらいがいい。いちゃついているカップルなら、まあ死んでもいいということだろうか。 するとホラー映画をカップルで観る行為はどうなのだろうか。本来なら映画中で殺されてもいい人たちが映画を楽しんでいるという状況になる。かなりメタというか。殺されるべきカップルだからこそ、その犠牲者が自分達のように思えて、より映画に没入できて恐怖を味わえるかもしれない。 友人とホラー映画を観た。そんなことを考えながら観たのは怖いからである。こういうことを考えることにより、怖さから逃れようとした。いい年をした男がホラー映画で目を覆ったり、悲鳴をあげるのはみっともない。そんな情けないマネはできない。かといって「ホラー映画は怖いです。だから観たくないです」とも言えない。言えばいいのだけど。 わたしは仏像のようにうっすらと微笑んで、テキサスチェーンソーの虐殺シーンを観ていました。これ以上観ると、この姿勢のまま気絶すると思いました。映画の内容はまったく憶えていません。このジャンルは向いてないのだろうなあ。