玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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秋刀魚 映画「告白」

▼打ち合わせで先方にお邪魔。

猫がいる家だった。その猫は、今の飼い主が引き取るまでは虐待を受けており、そのせいか誰も信用できず、飼い主以外の人間には懐かないという。わたしが部屋に入ると、さっと隠れてしまい物陰から様子をうかがっている。何時間かいたが絶対にこちらに近寄ろうとしない。わたしがお手洗いを借りに立ち上がったときも、ビクッとして隠れてしまう。きっといろいろ嫌な経験をしてそうなってしまったのだろう。

▼打ち合わせが終わり、夕ご飯をご馳走になった。田舎の一軒家なので、七輪で秋刀魚を焼くという贅沢が許される。この時期の秋刀魚は脂が乗っていて本当に美味しい。猫がわたしの膝の上に乗ってきて鳴く。

「なあー。なあー。なうー。(なあー、おめー、サンマよこせよ、なあーの意)」

あれ?虐待を受けていて、飼い主以外を信用できないという悲しい設定ではないのか。そう思ったのですが、ものすごい勢いで恐喝された。サンマ、ヨコセヨコセがすごかった。虐待とか嘘だろ。

飼い主から一匹焼いてもらいご満悦でした。

▼自殺を半減させた看板【ツイナビ】

命の大切さを説くより、案外こういうことかもしれない。

▼映画「告白」 / 2010年 日

【あらすじ】 

「生徒に娘を殺された」という女教師(松たか子)の告白と復讐の物語。ネタバレしてます。

【感想】

原作は未読です。なので映画だけの感想ということで。

どう観ればいいのか、よくわからないまま観終わってしまった。いくつかの社会問題が含まれている。少年法HIV感染者への差別、いじめ問題などであり、そういったものを考える作品なのか、それはただの装置であって、奇抜なストーリーを楽しむという作品なのか、どちらなのかわかりづらかった。

残酷なシーンにスローモーションを使用した特別な演出がしてある。そのせいで、オシャレ殺人PVみたいになっている。殺人というものをとても軽く扱っているように見えてしまう。だから、それはソウやバトルロワイヤルみたいに楽しんでねということかもしれない。

少年法によって人を殺しても死刑にならないという真面目に議論されなければいけない問題があり、それを話を盛り上げる装置として使っている。そこを本気でうったえてくる映画なのか、いわゆる娯楽としての映画なのか、観ている間はそれがよくわからなくてモヤモヤしてしまった。まあでもオシャレ殺人PVだし、娯楽なんだろうけど。

それと気になったのは、「大人をなめんなよ」ってのが言いたいのかなあ。それもちょっと余裕のない話である。建て前としては、社会という共同体の構成員として子どもにもそれなりの責任を取らせるべきということだろうか。それはいいんです。主人公は子どもを殺されて怒っているのだから。でも、それならば金属バットでも持って殺人犯の少年を殺しに行くというのが本当なのではないか。主人公は、真綿で首を絞めるような手段で犯人を追い込んでいく。

主人公は殺人犯の少年に命の大切さを説きながら、自分も少年の母親を結果的に殺してしまう。これは明らかに矛盾していると思うのだけど。彼女がその矛盾を理解しつつも復讐を行ってしまったのは、娘を殺されたやりきれない心情なのだろう。だが、ラストシーンで涙は流しつつもその悲しさは伝わってこない。復讐を楽しんでいるような異常さを感じる。

真面目か娯楽かが曖昧で、ちょっとわたしには向いてないようだった。もうちょっとどちらかに寄せてもらえば、すっきりと観られたかもしれない。