玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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ダイソン NHK BSプレミアム 周恩来

▼仕事を請け負っている会社に行くと、新しい営業の人が入社していた。Oさんという、50歳ぐらいのとても温和な雰囲気の男性である。雑談で、ダイソンの掃除機の話になった。これはもう何年も前の話になるが、ラジオで伊集院光さんがダイソンによく似た掃除機を買った話をしていた。

その掃除機はものすごく強力で、床板をはがしそうになったり、天井に向けると掃除機の先端がくっついてしまうほどだという。強力なのは良いが、爆撃機みたいな音がするらしい。

ダイソンはイギリスが本社でアメリカでも広く販売されている。アメリカは家が広いから、日本ほど掃除機の騒音に気を遣う必要はない。それに音が大きいほうがゴミがたくさん取れるイメージがあるから、あえて外国の物は騒音を小さくする工夫をしていないという話だった。それをさも自分が見てきたように話して、雑談は終わった。

席に戻ったら、隣席のTさんが近寄ってきた。

「あのー、今日入社したOさんてダイソンのアメリカ支社にいたらしいですよー」などと言う。

そーゆーことは先に言ってよねー!と思いました。そもそもラジオの話なんて尾ひれを付けて面白おかしく話すものです。それにダイソンの話も「そんなウワサがあるよ」程度の話し方だったと思う。それをまあ、わたしは「ダイソンの掃除機は俺が作った!」ぐらいの勢いで話してるからね。とめてあげないと。ヒモなしでバンジージャンプしようとしている人がいたら、普通はとめるでしょ。「おい!死んじゃうよ!」って。恥ずかしいわー。もう、飛んでるわー。地上300メートルから。

「だって、しゅんさん、すごく楽しそうに話してるから……。『ダイソンに勤めてた人の前であんな適当なこと言って大丈夫かなあ?』って思ってたんですけど」

ダメでしょ。地面に激突してるでしょ。わたしは、適当な与太話を楽しそうに話すだけの人間なんだから。あとで知ったがOさんはダイソンのアメリカ支社のちょっと偉い人だった。実に恥ずかしい。本職の方の前で与太話を。わたしの口を針と糸で縫いつけて、石を抱かせたうえで海に沈めればいいんだと思う。死んでしまう。

NHK BSプレミアム 周恩来

再放送で、周恩来のドキュメンタリーを観る。一挙四時間放送ということで、少しぐったりした。当時の部下や家族からの証言を元に構成されており、周恩来の生活や人となりがわかるとても良いドキュメンタリーだった。

清濁併せ呑むという言葉は周恩来のための言葉かもしれない。文革を止められなかった責任、劉少奇ら走資派の粛清に反対しなかったということで周恩来の評価はとても難しい。ただ、毛沢東に対抗すると国を割り、党を割ってしまう。そうなれば内戦になって死者も出る。外国に付け入る隙を与えてしまう。それを防ぐために、毛沢東にやむなく従ったように見える。

その難しい局面にありながら走資派の保護をし、紅衛兵を抑え、四人組との政争でも地位を失うことはなかった。周恩来のことを、毛沢東へ追従した人間ととるか、中国人民六億人を飢えさせないことを考えて行動した人間ととるか、自分の身の安全を考えただけの人間ととるか、いろいろな考え方があるだろう。しかし、しばしば三十時間以上もぶっ通しで働き、必要ならばトイレの中にも部下が報告に来るような環境で、膀胱癌をわずらって血尿に悩まされながらも働いているということを思えば、とても私利私欲に走る人間とは思えない。

紅衛兵の突き上げや自己批判を迫られるなど、命の危険にもさらされ、普通の人間ならば職を投げ出している。ここで「じゃあ、わたしは辞めますからやってみてください」という投げやりな態度を取らないのが周恩来という人なのだろう。彼が投げ出せば、多くの人間が命を落としたはずである。大躍進政策の失敗で、食糧不足に陥り、一千万人を越える餓死者を出している。それを切り盛りできるのは周恩来しかいなかった。しばしば自分の考えとはまったく違う行動を取らざるを得ず、しかし、周恩来が生き延びることが多くの中国人を救うことになったのだと思う。

長く仕えた彼の秘書が、彼が膀胱癌で亡くなる前、彼の口からはじめて「疲れた」という言葉を聞いたという。あれほどの激務とストレスにさらされ、総理と外交部長(外務大臣)を兼務しながら、それまではいっさい愚痴めいたことを言わなかったという。なんと忍耐強い人なのだろうか。