玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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神は秋葉原のメイドカフェにいる

▼駅で待ち合わせ。知り合いを待っていると、若い女の子が話しかけてきた。宗教の勧誘だった。神様セールスに関しては「間に合ってます」とお断りしている。断ったのに、けっこうしつこく「手相見せてください。困ったことはありませんか?今、幸せですか?」と聞いてくるので面倒だった。

「そもそも幸せの定義ってなんですか!不幸じゃダメなんですか?幸せじゃないといけないんですか!」と蓮舫ばりにキレようかと思った。蓮舫さんはそんなこと言ってませんけど。そして、号泣して家に帰ろうかと思いました。情緒不安定である。

とにかく不幸はダメだという刷り込みがある。恋愛映画やドラマの影響なのだろうか。十分にご飯も食べられて戦争もない。これだけで、かなりついている。それに不幸だとしてもいいんじゃないか。なんでもかんでも神様に頼られても、神様としても迷惑ではないか。

いちいち「すみません。ちょっと不幸なんですけど」と言われても困るだろう。わたしが神様なら「もう、うるさいなあ。自分でなんとかして」となる。そいつにピンポイントで天罰を当てる。あらゆる宗教の教義の1ページ目に「自分のことは自分でなんとかするように」と書いておけばよかったのに。そこんとこ失敗した。

なぜそこまで依頼心が強いのだろう。わたしは信仰はないが、仮に百歩譲って神様が人間を作ってくれたとする。それだけでもう十分である。それをまあ、作ってもらっただけで飽き足らず、さらに神様に助けてもらおうとは図々しい。むしろ神様を助けてやらないと。買い物とか、コピー取りとか、やれることはやらないと。

「いや、むしろ神様を助けてあげないと。神様にすがるんじゃなくて」と言ったところ、彼女は気持ち悪い物を見るような目でわたしを見ると、どっかへ行ってしまいました。神様、わたし、何か間違えたんでしょうか!

ごくごく稀に、神様のことを考えます。仮にいたとして、なんで人間を作ったんだろうとか。主に3つ考えられます。もっとも有力なのがヒマ説。箱庭ゲームみたいに、「こいつらどう進化すんのかなー」と観察して楽しむという。あとは、さみしい説。ちょっと崇拝してほしい感じするし。そして、これはヒマ説から派生してるのですが、人間が作った芸術なんかを楽しみたいというものです。

いろいろ考えると、神様は最近は日本に注目しているのではないか。今、アニメやライトノベルに才能が集まっている。「涼宮ハルヒの喪失」や「化物語」など、とてもよくできていた。そんで神様は崇拝されるのが好きということをあわせて考えると、この欲求を同時に満たすのは秋葉原メイドカフェではないか。メイドさんは客ならば誰でも献身的に仕えてくれる。そこでライトノベルを読みふけっていたら、これはかなり神様率が高いと言える。神様と断定してよい。

オムレツを注文して、メイドさんにケチャップで「神」とか書いてもらっていたら間違いない。そういうときは感謝の気持ちで見守りましょう。メイドさんをニヤニヤ眺めている神様に対して、間違っても「気持ち悪い」などと思ってはダメである。次の日に、天罰を当ててくる。神様はかなり心が狭い。