玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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右手

▼ちょっと前にテレビでやっていたが、右手を挙げ続けて38年というインド人がいる。そういう修行である。やはりインドというのは懐が深い。日本でやると、完全に「ちょっと面白い人」扱いになるだろう。ちゃんと地元の人から尊敬されているのがすごい。 わたしも思い立って真似をして右手を挙げ続けたものの、まず朝ご飯が作れない。いきなりつまづいた。そしてPCをやるのも不自由だ。マウスを使おうとするたびに、おじぎする感じになる。ちょっと会社勤めは無理そうである。外出しようにも、タクシーが止まりまくるので普通に暮らせないのではないか。心配だ。仕事はせず、お布施で暮らしているのだろうか。 右手を挙げ続けて38年、何か見えてくるものがあるのかなあ。神様のほうも、これほど尽くされるとどうなのだろう。わたしが神様ならじゃっかん引く。手編みのセーターでも重いかどうか意見が分かれるのに、38年間右手を挙げ続けるとか、重すぎるわー、断ったら何されるかわからんわー、と思う。見返りに、何か悟らせてあげるかもしれない。美味しいカレーのレシピとか。 ▼右手を挙げ続けるのは困難である。でも、たしかに何かを失うことで見えてくるものがありそうである。わたしも自分の機能の一部を制限してみようかと思っている。そこで何を制限すべきか考えた。 最近はネットの世界でもそうだけど、どうもすぐに腹を立てる人が多いように思う。自分の権利を侵害されたのならともかく、関係ないところで腹を立てている場合が多い。もうこうなると、わたしは一切腹を立てるのをやめようかと思っている。仕事上、言わねばならないことはあるがそれは言うとして、とにかく腹を立てないと決めた。これはかなり困難である。何か見えるものがあるかもしれない。 ゆくゆくは人格者となり、黙っていても皆様からお布施が集まるようなですね、ええそれはもうあくまで皆様の自発的な意思で集まればということですが、そんな人間になれたらなと思います。そうそう、話は変わりますが、いい壷があるんですけど、どうですか?