玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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自己啓発

▼友人Nの家に行く。

本棚にはさまざまな自己啓発本が並んでいる。職場で多くの部下を管理しなければならず、どうしてもそういった本が多くなるという。これだけ並んでいると、もうそろそろ啓発されてもよいと思うのだが、なかなか啓発されんなあ、自己。

「今、啓発されました!はい、これ免許証」という方式ではないので、わかりにくい。啓発されたあかつきには、眉間にデカデカと「啓」の字が浮かび上がるとか、そういう仕様が望ましい。そもそも、自己が啓発されるってのが、どういうことなのかわかっていなかった。

何かに挑戦するということだろうか。いつもはお弁当でオカカのおにぎりを二つ買っていた。このうち一つをなんだかよくわからない新しい物に変えて冒険してみるということだろうか。この攻めの姿勢、これぞ自己啓発

なんか違う気がする。

▼そういえば、友人Fの本棚には自分探しの本が並んでいた。自分探しという言葉も謎である。友人Fは、趣味を「自分探し」と言っている。では、わたしと話しているFは仮の姿であり抜け殻のようなものであって、本体は駅前でパチンコとかしているのだろうか。それは探さないと、自分。大変である。うっかりすると行方不明になる。

「今すぐ探しに行ったほうがいい!」と、仮の姿に言ったら怒られた。

仮のくせに生意気だと思う。本体に怒られるなら、まだわかるが。

眉間にデカデカと「仮」って書いてあったもの。 

▼ちょっと前に書いたVシネ「首領への道」でありますが、まだ観続けている。なにせ全巻が25巻なのでなかなか終わらない。正直なところ、このシリーズは8巻の金沢篇が面白さのピークなのではないかと思う。そこからは緩やかに下降していく。マンネリの展開になってしまう。

だいたい、組の若いもんが暴走して事件を起こす。いろいろあって、組のトップが責任を取って引退。組を継いだ二代目が島田組の傘下に入り、島田組の勢力拡大。概ねこのパターンである。あまりにマンネリ化してきて観るのをやめようと思ったのだけど20巻ぐらいになり、変に面白くなってきた。

かならず小さな原因から抗争が勃発するのだけど、その原因が魚屋でタイを奪いあうことから始まったり、本当にどうでもよくなっている。タイが原因で殺し合いって、雑な脚本である。もうちょっとなんとかしてほしい。

さらにVシネならではだと思うのが代役である。いつの間にか人が入れ替わっている。シリーズの前のほうで大徳組の一代目をやっていた人が、後半では違う人になっている。これなどはまだ良い。わりと出番の多い金沢組の南原などは3人ぐらい入れ替わっている。劇中で「おお、南原か」と、呼んでもらってはじめて認識できる。ボーっと観てると、この人誰だっけ?で終わることもしばしばある。

それと序盤に島田組の幹部だった広瀬役の人が、後半にまったく関係ない花本組組長で出ているので混乱する。「お、おまえ、広瀬だったやんけ!」となる。すごい使い回しである。そういう変な楽しさがあるね、Vシネって。

あとは観ていると自然に落とし前の程度に詳しくなる。勝手に判定しだす。組のトップが暗殺されたときなどは「これは相手の組の親分の指詰め+引退だな」とか、若いもんが刺されたときなどは「これだと金か、若頭の指詰めかな。いや、指までいくかな」とか。それがわかっても、特に何もありません。

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