玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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片付け テレビ

▼今度のジブリ映画「コクリコ坂から」はどうなのでしょうか。まだ、未見である。

監督は、宮崎駿の息子である宮崎吾朗。吾朗はねえ、どうなんだろうねえ。ちょっと警戒している。「ゲド戦記」のときに煮え湯を飲まされているからである。あれは、ひどい煮え湯だった。しかし、吾朗もあれからずいぶん成長している。子どもも生まれ、人としての厚味も増し、それが作品に反映されているかもしれない。

吾朗吾朗となれなれしく呼んでいるが、完全に他人、及び年上。

▼片付けの本を立ち読みしたら無性に部屋を片付けたくなった。すぐ影響される。

いざ始めると、無駄な箱が多いことに気づいた。WiiやPSなどゲーム関係の箱が多い。そういうものをばっさばっさとまとめる。Wiiは箱にあれだけ多くのパーツを使用していながら、一箇所もノリを使用していない。捨てる際、ダンボールが適度な大きさになるよう一枚一枚が構成されている。iPodPS2の箱も処分はしやすかったがノリは使われていた。ここらへんに任天堂のこだわりを感じた。

箱関係は問題なく処分できるものの、思い出関係が手をつけかねている。写真だとか手紙だとか、そういうのはどうすればいいのだろう。思い切って捨ててしまったほうがいいのだろうか。小学校の頃の日記や作文が多く出てきた。ついつい片付けの手を止めて読んでしまう。

小学6年になってから何をしたいか書いてあるのだけど「しょうぎクラブにだけは入りたくありません」と書いてあった。なにその後ろ向きな主張。この作文を提出した担任は将棋クラブの顧問だった気がするが、ケンカを売っているとしか思えない。卒業してからもうだいぶ経ちますが、先生、あの時はすみませんでした。ごめんごめん。

▼「最近はテレビがつまらない」と友人から聞いた。そうなのかなあ。言われてみればそんな気もするが、あんまり観ないのでよくわからない。この「あんまり観ない」というのがつまらないということなのかもしれないけど。

みんな、テレビを観るよりもネットや携帯、ゲーム、漫画、そういった物に時間を取られているのかもしれない。では、番組自体の質が低下しているのだろうか。番組自体の質は低下はしていないと思う。緩やかにだが着実に上昇している。しかし、上昇はしているが面白くはない。

もし、番組の質が低下しているのなら、昔面白かったドリフやひょうきん族みたいなものをずっと流していればいいはずである。でも、あれも今あらためて観ると懐かしくはあるが面白くはない。当時は、毎週あれだけ楽しみにしていたのに。きっと、笑いというのは風化しやすいものなのだろう。それとCGのような映像技術も、かなり劣化が激しい。

テレビは質は落ちていないものの、だいたいのパターンを一通りやってしまった。もう何がきても驚けなくなっている。テレビそのものに飽きている。それと、この人が出ていれば観たいというのがない。そういう滅茶苦茶な勢いを持った人間が見当たらない。ドリフ、たけし、さんま、とんねるずダウンタウンなど、テレビの中心みたいなイメージがあった。実際にそうだったのだろうけども。破壊的で何をしでかすかわからない危うさがあったけど、今のテレビは本当に安定している。それは成熟と考えられないこともないが、面白くはない。面白くないんだなあ。

だんだんと気づかぬうちに緩やかに死んでいって、気づいたときにはもう既に手遅れになっている。なぜこうなってしまったのだろうか。これは日本だけのことなのだろうか。それとも世界中でも、こういったことは起きているのだろうか。

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