玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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反抗期

▼昨日、テレビを観ていたら尾木ママ浅草キッド水道橋博士が、育児についての対談をしていた。尾木ママっていってもオッサンではないかと思っていたが、実際はオッサンどころか孫がおり、もうおじいさんなのである。尾木ママというか尾木ババと呼べばいいのか。

尾木ママの娘さんが、反抗期のときに学校で消火器を撒き散らした話などは興味深かった。教育の専門家のくせに育児に失敗しているというより、専門家でも問題が起きるほど育児は難しいのだろう。一応、道理をわきまえているはずの大人同士でさえ問題が絶えないのだから、大人よりはるかに不完全な子どもであればなおさらである。あいつら、ほとんど野生動物である。googleで検索して解決するような簡単な話ではない。

それで、反抗期について少し考えたのだけど、あれはですね、防げないんじゃないでしょうか。もったいつけて何言ってんだとか、怒られそうですが。いやー、あれはねー、防げないっぽい。ほんとに。わたしの説によると。

昔の人の平均寿命をネットで見ていたのだけど、縄文人は10代前半から30代ぐらいというのが多い。それ以前のものはあまりにも不確かだった。農業が始まる縄文晩期以前ですが、反抗期をきっかけに家を出たんじゃないかと思う。共同体から独立し、若者だけで暮らしたのではないか。病気や怪我、安定しない食糧事情などから、今よりもはるかに寿命が短い。だから、早いうちに子どもを作らないといけない。そのために、反抗期という独立を促すシステムが遺伝子に組み込まれたのではないか。

で、4,5年たつと丸くなるのは、外に出て子どもを作った後は、また元いた共同体に戻ってきてうまくやっていく必要があるからである。もう、いったん独立して繁殖という目的を済ませたので、丸くなってよいのである。狩りや漁は協力したほうが成果が出るだろう。じゃあ、なぜ親のほうに反抗期の症状が現われないか。それは、親に反抗期以外の年齢の子どもがいたとして、その子たちを無理に追い出して死んでしまっても困るわけである。だから、ちょうどいい年齢に達した子が自分から出て行くのが正しい反抗期のあり方なのではないだろうか。

縄文時代も、農業が始まるまでは若者は独立していたが、集団作業の必要性から独立というのが難しくなって現代までズルズルきたのじゃないか。現代でも、少なくとも普通教育が終わるまでは家に居なければならない。子どもとしては、本能的には独立したいのにできず、その抑圧された衝動から「イーッ!」ってなるので、問題が起きやすいのかもしれない。

なので、反抗期に子どもが「こんな家、出てってやる!」と言ったなら「よく言った!それでこそ正しい反抗期!さあ、行って子どもを作ってこい!」などと言えば、頭のおかしい親と思われてますます相手にされなくなると思います。

がんばって。いろいろがんばって。うまいことなんとかして。

常に人として100点満点の対応が取れないのは当たり前です。試行錯誤して、なんとかやっていけばいいんです。まあ、最後は愛ですよ、愛。

などとねえ、偉そうにねえ。育児をまったくしたことのないわたしがねえ。だいたい、人間同士ってそんなに仲良くないもんでしょ。問題が起こらないほうがどうかしてる。

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