音楽 鮫
▼久しぶりに生の演奏を聴いた。
大昔は、音楽を聴くというのは奇跡的なことだったと思う。録音が出来ないし、その場で演奏してもらうしかないから一度しか聴けない。権力者が、宮廷楽団などを抱えたがったのも理解できる。今でこそ、テレビやネットに音楽は溢れ、MP3プレーヤーには聴ききれないほどの曲が入っている。
だが、それが与える喜びは、昔の人々に比べると薄いものだろう。ただ一度、その場限りで終わってしまう音楽を聴く喜びは、今とは比べものにならないぐらい深いはずである。幸福感が相対的なものであるなら、今の状態は、穴の開いたコップにひたすら水を注ぎ続けているようなものかもしれない。音楽を聴けるということが奇跡的なことなのに、そのことにまったく感動をおぼえない。
このことは、不幸とはまた別の状態に思える。幸福でも不幸でもない状態である。これは、なにも音楽に限ったことではない。
▼鮫の図鑑が欲しい。
なんでこんなに鮫に惹かれるのかがわからない。海で鮫にあったら、それはもう諦めるしかない。そういった圧倒的な力に惹かれるのだろうか。
好きなのに理由がわからないとは、どういうことか。答えが出ているのに式がわからないということだろうか。考えれば理由の一つや二つ思いつくかもしれない。しかし、そうやって思いついた理由というのは、本当に正しい理由なのか怪しいものである。
そもそも、理由などいらないのか。それは、他人に説明するか、自分を納得させるためぐらいにか使い道がない。
寝不足だからか、こう、なんていうんでしょう、グルグルするような日記になる。いつものように軽妙で、機知に富み、鋭さを秘めつつも慈愛に満ち溢れた日記が書けない。そんなもの、寝不足でなくても書いてないけど!
どうも、脳の具合が悪い。日記に飽きたのかもしれん。飽きっぽい性格なのに、今まで続いたのが不思議である。ここらで少し飽きてもよいかと思います。