玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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最近の若いやつ

▼ちょっと仕事場で、ひと悶着あった。技術部のリーダーと、その部下が口論していた。

わたしは眉をひそめたりしつつ「いいぞー!もっとやれー!どっちもがんばれー!」と、心の中で応援していた。人の揉め事が大好きである。大好物である。ご飯に揉め事をかけると、何杯でもいける。桃屋から発売しませんか。

少し経ってから休憩所で、そのリーダーと会った。彼は40代半ばである。

「最近の若いやつはなんだか‥‥」と、先ほどのことを話し出した。

わたしは、最近の若いやつはとか、そういった言葉が好きではない。若いやつにもいろいろいる。その中にも、仲の良し悪しなどはあるし、あいつと一緒にされたくないとかある。そう乱暴にひとくくりにされても困るのである。

それに若いやつが最初から完成しているわけはない。そうしたら年寄りに高い給料を払う必要だってない。若いやつは駄目で当たり前である。できるやつのほうがどうかしている。へー、なんでできんのー?ぐらい言ってもいい。

そう愚痴っていたリーダーに言おうかなと思ってたときに、彼が言った。

「俺らの頃はさあ、もうちょっと違ったような気がするよ」

おっと。

わたし、若いやつサイドで反論しようとしてたのに、完全にそっちチームに入ってた。中間とかでもなく。あれー?僕、そっち側なのかなー?あれー?となった。

「あ‥‥、あぁ‥‥、はい‥‥」って、多少打ちのめされて返事をした。

まあ、若い人はエネルギーがあるでしょうから各自反論してください。もう、わたしのような年寄りはおとなしくしてますから。

おとなしくしてるヨボ。

梅雨は、関節が痛むから嫌いヨボ。

バアさん、こぶ茶を淹れてください!こぶ茶をがぶ飲みしたいんです!バケツで!

▼内閣不信任案が否決された。政治について何もわからないので言う気はないが、今の時代ほど政治家が軽蔑されている時代もないだろうと思う。

白洲次郎が生前に書いた文章をまとめた「プリンシプルのない日本」を読んでいる。これに戦後の政治家の話が出てくるが、やはり戦後も内紛というのはある。僕は「あの頃のほうが良かった」と、今より昔を良しとすることを好まないので、ああ、やはり昔も似たようなものかと、少しにやりとした。

物などは、昔より今のほうが良くなっている。それは過去の技術を元にして今の物を作るから当たり前である。人もそうでなければいけない。それを否定することは、人の進歩を否定するようで、なにやら悔しいからです。

そうすると、昔の政治家より今の政治家が優秀なはずである。いやー、そのはずなんだけど、うーん、そのー、えーと、ちょっとそれを言い張る自信がない。

そして、「国は、国民以上の政治家を持ち得ない」という言葉もある。政治家も国民も、両方駄目なのかしらと思う。すると、戦後から今まで何をボーっとしてたのかなと、ちょっと寂しい気にもなる。

内閣不信任案に関する演説を聴いたが「被災者のため」という言葉が出るほど、嘘っぽく感じた。「だったら、そもそもこうなる前に与野党協力してうまくやってくれよ」というのがある。残念ながら、政治家の言うことが信用できなくなっている。何かを信用できないということは、残念であるものの、他人に期待してもどうしようもないことである。

すごく荒れている学校があるとする。そこの先生がまるで駄目だったとする。授業も何もできやしない。そうしたらどうするか。もう、この先生に頼っていても無駄である。「あの先生は、駄目だ」と嘆いても何もならない。他人が駄目なのは自分では変えられない。だが、自分は変えられる。音楽でも聴きながら、周りの雑音に耳を貸さず、ひたすら自分の勉強をするだけである。そうやって、資格やスキルを身につけるしかない。人にどうにかしてもらおうと思ったら、もう駄目なのだろう。

だが、普通の環境にいる人間はそれでいいが、被災地の人は自分の努力ではどうにもならないこともある。だから、震災対応だけはなんとかしてほしい。これだけは政治家に頼らざるを得ない。国会議員も最初に立候補したときは、脱税しようとか、権力を握ろうとか、そんなことは考えていなかったはずである。一度ぐらいは、地元のため、国民のためと考えたことがあったのではないか。今だけは、被災地のために協力してやってもらえないものかと思う。もし、その初心を思い出すことができるのなら。

いい政治家は、死んだ政治家だけだ、などとは言いたくないものです。

▼何を上から偉そうなことをねえ。いや、これはもう明日消す気がするよ。