玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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牛さん 課金

▼友人A子がツイッターをやっているので、どんなことを書いているのかのぞいてみた。

職場の人たちと牧場へ行ったことが書かれていた。「牛、かわいー!」とか「羊、かわいー!」とか、まあ、いいんですよ。

「牛さんの頭なでたら、腕を舐められた。牛タン長い!」ってある。

あ、この人、食べる気マンマンなんだなと思った。牛の頭なでながら「牛タン」とか考えてるのが怖い。ツイッターで「牛さん」ってアカウント作って、炎上させたろかと思いました。

▼自分の仕事か相手の仕事か、とても曖昧な部分の仕事がある。

そんな仕事は、たいていいつも面倒で、誰かがやってくれてりゃと思うのだけど、そういうものに限って誰もやっていない。そういう面倒なものを見つけ出して、打ち合わせをして対処を決めたり、解決したりする。その行動を自分から起こすかどうかが重要だ。誰かが言い出すのを待つんじゃなくて。仕事をただやらされているか、能動的にやっているかの境目になると思う。

「これはねー、僕の担当じゃないと思うんですよー」と、人にグイグイ押し付けながら思いました。

▼新入社員の茶柱くんと話したときに、webサービスの課金の話になった。

ネットでは、アバターという自分の分身のようなものがある。そのキャラに洋服を着せたり、仕草を憶えさせたりする。僕もネットゲームを少しやっていたので、強い武器などに課金したい気持ちはわかる。それは具体的に数値が上昇するからである。だが、アバターに課金しても見た目が変わるだけで、数値上のメリットなどはない。でも、そういったものに抵抗なく課金できるという。そこが、僕とは価値観が違う。

そもそもwebサービスを信じていないというのもある。いつ、サービスが終了するかもしれないし、サーバーが壊れてデータが消えることもある。多くのサービスは多重化してあるから、その危険は少ないだろうけど。手元に残らない2Dのものは、なんとなく頼りないというのが正直なところだ。古い人間なのだろうなあ。

所有についての考えが少し変化してきているのかもしれない。

在庫は、本当に資産なのかという考え方がある。たしかに売れればお金にはなる。ただ、現状、倉庫を圧迫し管理費を発生させている。ならば負債ではないか。

本を手元に置いておくと場所を取る。それよりも必要なときにデータで参照すれば、そのときにお金を払うだけで場所は取らない。常に手の届くところにあるならば所有の意味はない。巨大な倉庫を常に借りているようなものだ。手元になくてもさびしくないのだろう。

「そうやって、若い人はどんどん新しい価値観を獲得していくんだよね‥‥。さびしいよお!この老いぼれを独りにしないでおくれ!どこにもいかないでおくれ~!」

って、しがみついたら肩にパンチされた。うっとうしいと思います。

倉庫の片隅で独りで暮らそう。古本のページを食べながら生きる虫にでもなろう。

ムシャムシャ‥‥。