玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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抽象画 喜嶋先生の静かな世界

▼少し時間があったので抽象画を見た。絵の見方がわからなかった。何も考えずに見たいように見ればいいと思っていたが、想像以上にわからない。絵を眺めているうちに、学生時代に美術の先生が言っていたことを思い出した。

「抽象画を見るときに、最初に作品名を見るんじゃなくて、絵を見て作品名を当てるという見方もある」

それは正しい見方というより、絵に興味を持たせるために言ってくれたのかもしれない。そのやり方を試してみると、思ったよりも当たる。楽しくなる。

当時は絵を見ることもなく、先生の言葉の意味もわからなかった。それから長い時間がたって、今ようやっとその言葉が役に立っている。不思議なものである。誰かが言ってくれたことが、実はとても有意義で、本人はその価値に気づいていない。誰かが僕のために言ってくれて、僕に届かなかった言葉というのはすごくたくさんあるのだろう。

理解が難しい言葉を壷のようなものに入れておく。時々、取り出して、いろんな角度から眺めてみる。吟味してみる。そうやって意味を確認していく。そんなことができたらいいのに。

▼喜嶋先生の静かな世界(森博嗣

ある大学生の学生生活をつづったとても静かな物語である。事件らしい事件は何一つ起こらない。研究に没頭した静かで幸福な時間。研究、学問の意味、大学の在り方、そして、喜嶋先生という人物。

圧倒的な知性との出会いほど幸福なものは少ない。そして、それは限りなく幸福な時間である。だが、その時はあまりに忙しくてそれがいかに幸福なことか気づいていない。幸福は、その状態が去ったあと振り返ってみて、はじめて気づくものかもしれない。

この小説は少し悲しい終わり方になっている。なぜこのような終わり方にしたのだろう。真理の追究を続けることは、多大な犠牲を払うことになるというメッセージだろうか。

人生の時間をどのように使うか。それを考えるのに最適な一冊である。

 

そうそう、この小説に出てくる喜嶋先生のような人物、信じられないほど優秀な人間というのが世の中には実際にいます。その人と仕事をした時間は、僕の人生でもっとも幸福な経験の一つになっています。