玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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岩手県普代村 水門を作った村長の記事

▼ギズモード・ジャパンで水門を作った村長の記事を読みました。 ギズモード・ジャパン 米GIZMODOで話題。信念を貫き村民の命を救った村長。 最初に感じたのは、あまりにも大きな金額を使ったなということでした。普代村のサイトを見ましたが、その中の「広報ふだい23年4月号」によると、23年度予算で歳入は約24億円とあります。この水門の建設費は35億6千万とあります。この建設費が、今の金額か当時の金額かは不明ですが、歳入の約1.5倍という金額です。(当時の金額ならば、より高くなります) もちろん、一括で払ったわけではなく、継続費として分割にしているはずであり、かつ国からの助成もあったはずです。それでも、村の一年の収入をはるかに上回るというのはとんでもない金額です。記事の中にも、税金の無駄遣いと批判されたとあります。村民からすれば、医療や福祉、企業の誘致、雇用、観光地の開発、過疎化対策、予算をかけたいところはいくらでもあったでしょう。 しかし、災害対策もおろそかにできない。こういった公共事業というのは実に難しいものだと思います。いつ津波が来るかもしれず、しかし来ないかもしれません。何も起きなければ対策費が無駄になったように見える。税金の使い道について追及されることもあります。土地収用問題という厄介な問題もある。だが、反対する人々を説得し水門を作ろうとした。水門完成には、外からでは窺い知れない苦労があったかと思います。それでも、この和村村長の決意が揺るがなかったのは1933年の大津波で被災されており、その思いを村民に二度とさせたくないという思いがあったからでしょう。 岩手県沿岸が軒並み甚大な被害を受けたなか、普代村は水門内で亡くなった方はいません。(地震後、船を見に行った方が一人亡くなられています) googleマップで見ると、水門のすぐ後ろに小学校、その後ろに中学校、そして住宅地が広がっています。もし、水門がなければ他の沿岸地域と同じように甚大な被害が出ていたでしょう。 和村村長が辞める時に残した言葉を引用します。 「村民のためと確信をもって始めた仕事は反対があっても説得をしてやり遂げてください。最後には理解してもらえる。これが私の置き土産です」