玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

このブログの内容はすべてフィクションです

ヨーグルト

▼親戚来訪。伯母から自家製カスピ海ヨーグルトというのをもらった。その来歴がカスピ海かどうかは怪しいものである。どっかそこら辺の得体の知れない何かということもありうる。その怪しい何かの量が減ると、そこに牛乳を次ぎ足してまた増やしていくのである。何度か増やせばカスピ海的成分は飛んでいそうなものだがどうなのだろう。

以前、付き合っていた子がやはり自家製ヨーグルトを作っていた。彼女の家で留守番をしていたとき、ヨーグルトでも食べて待っていてくれというので食べたことがある。自家製だからということで特に変わった味がするでもなく、二瓶ペロッと食べてしまった。

彼女が戻って空き瓶を二つ確認すると急にシクシクと泣き出した。理由を聞いても答えない。

「いいの。気にしないで」というばかりである。

わたしが何をしたかといえばヨーグルトを食べただけである。空き瓶を見ると二つとも黒いマジックで何か書いてある。一つには「で1」もう一つは「で2」。これが彼女が泣いた理由と関係している気がした。

「瓶に書いてある『で』って、なに?」

「‥‥でんじろう」

でんじろうとは、なんだろう。前に付き合っていた男の名前だろうか。その彼のために作っておいたヨーグルトを食べてしまったということかな。

「でんじろうって、誰?」

「でんじろうは‥‥でんじろう。ヨーグルトの名前」

うーん、ヨーグルトに名前を付けていましたかー。法的には禁止されてないからな。わたしは思わず笑ってしまった。

 

「なに笑ってんの!」

それまで彼女は一度も怒ったことがなかった。だから、その剣幕に驚いた。よく話を聞いてみると、彼女は自家製ヨーグルトを何世代にもわたって次ぎ足し、牛乳の種類や分量にこだわって最良の味を追及するべく家系図のような記録をつけていたそうである。「で1」というのは「でんじろう1号」、「2」は「2号」の略である。

彼女も、わたしが両方食べてしまうとは思っていなかったのだろう。どちらか残っていれば、また増やせたのに。わたしが食べたでんじろうは、彼女が言うには「でんじろう102世と103世」にあたるらしい。

「謝って」

「そんな大事にしてたヨーグルトを食べて、ごめん。ごめんなさい」

「違うの!でんじろうを食べてごめんなさいでしょ!」

えー、だってヨーグルトじゃん。コンビニで「でんじろうありますか?」って言っても通じないじゃん。「頭おかしいの来た」とか思われる。しかし、悪いのはわたしだから何も言えない。

「でんじろうを食べて、ごめんなさい」

「‥‥許す」

そういった経緯があり許してもらった。これはやはり真面目に謝罪しなければならないことなのかもしれない。たとえば、先代から伝わる秘伝のタレを使う店があるが、このタレを全部捨ててしまったらそれは許されないだろう。そう考えると、この罪は重い。重いんだけどヨーグルトというと、やはりちょっと笑えるというか、それほどのことなのかなとも思う。なにせ、でんじろうだし。その辺りがどうも釈然としないのだった。

それからしばしば、でんじろう殺しと呼ばれた。嫌な名前である。彼女がヨーグルトをもらったとき、ちょうどテレビででんじろう先生が理科の実験をやっていたそうである。その白衣姿から、ヨーグルトの名前がでんじろうとなったらしい。でんじろう先生は好きだが、それ以来、テレビで観た瞬間にチャンネルを変える癖がついてしまった。

以降、彼女はもうヨーグルトを作ることはなかった。その頃はヨーグルトブームで、友人がヨーグルトを持っていたので「ヨーグルト、もらってこようか」と聞いたことがある。

「あのね、かわいがっていた犬が死んで、よそから同じ種類の犬をもらってきてもそれでいいってことにはならないでしょ。でんじろうはもう帰ってこないの!よその家のは別でんじろうなの!」

それ、でんじろうじゃなくてヨーグルトなんですけどね。よそのお宅ではでんじろうって言ってないんですけどね。でも、わたしが悪いのだ。

「そうだね、それは別でんじろうだよね」と言うのである。

別でんじろうってなんですか。