玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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バナナハンガー ドラマ「遺恨あり 明治十三年最後の仇討」感想

▼決算期なので前職の会社に行ってきた。帳簿を見て偉そうにあれこれ言う仕事である。いや、もはや趣味である。たいしてお金くれないし。くれないしー。

こんにちは、金の亡者です!みんな、元気かい?

久しぶりに同僚に会えたのもよかった。

「いやー、ご無沙汰ご無沙汰!今日も働きアリのごとく会社の歯車になっておるかね!」と挨拶したら「何様だこのやろう」と言われた。暴力企業ですか、ここは。通報します。

▼会社は特に変化はなかったが、なぜかバナナハンガーがあった。バナナをかけておくと黒くなりにくいというやつである。お客さんにもらったらしい。

しかし、バナナハンガーって必要なのだろうか。わざわざバナナを吊るすために買うのだから高級な感じはするものの、かといってバナナがそんな高級な物でもないわけだし、もったいつけた感じもするよくわからない物だ。セレブのゴリラとかが使えばいいのかな。セレブのゴリラってなに?

それにしても、これの存在価値がわからない。手に取ってしげしげ眺めていると同僚が近づいてきた。

「そんなに珍しい?バナナハンガー」

「いや、これって本当に必要なのかと思って」

「実際、いらないよなあ。で、おまえと同じでこの世に不必要だからシンパシーを感じてたんだ」

「そうそう。そうなんですよ。この世に必要ない同士。他人とは思えなくて」

「認めるんだ」

「でも、この会社にはかないませんよ。この会社、バナナも吊るせないから。バナナハンガー以下だからな!」

「なんだとお!」

キーキー!言いながらつかみ合って遊んだ。お互いバナナハンガーより役に立ってない。楽し。

▼ドラマ「遺恨あり 明治十三年最後の仇討ち」 / 藤原竜也

「日本で公的に記録されている"最後の仇討"は、明治13年12月17日。旧秋月藩士の臼井六郎という青年が、同じ旧秋月藩士で東京上等裁判所の上席判事・一瀬直久を、父母の仇として討ち取ったのだ。法治国家をめざす明治政府が"仇討禁止令"を発布してから、7年後の事件だった」(テレビ朝日公式サイトから)

時代によって善悪の基準は簡単に変わってしまう。江戸時代には見事と言われた仇討ちが明治では認められない。

殺された臼井亘理(六郎の父)は、明治新政府大久保利通から目をかけられていた。それが秋月藩の攘夷派には開国派への変節に映った。そして秋月藩国家老・吉田悟助の指図により臼井亘理は暗殺される。臼井家の親族が国家老に訴えるが、暗殺の実行犯にはお咎めなし、臼井家は石高を削られるというまったく理不尽な沙汰が下る。

その後、暗殺の実行犯であった一瀬直久は新政府の上席判事となる。かつて変節漢ということで臼井亘理に天誅を下したものの、今度は自分が新政府の一員となって働いている。彼、そして実行犯たちは、その心の折り合いをどうつけたのだろうか。

そして江戸時代までなら推奨された仇討が明治の世では違法である。新政府には欧米列強に対し、仇討という野蛮な風習を捨てて文明国の仲間入りを果たした日本の姿を見せる必要があった。

しかし、士族をはじめ庶民は忠臣蔵を見るような思いでこの仇討に熱狂した。藩を解体され、刀は取り上げられ、侍はただの無職になった。その不満があの時代の秋月の乱西南戦争に繋がった。六郎の仇討というのは、士族がかつて侍であった誇り、それを取り戻すような行為に映ったのかもしれない。

ただ、六郎にはそんな士族の誇りなどはどうでもよいように見える。両親を殺された憎しみ、それをどうしても忘れられず仇討に人生を捧げてしまう。やり場のない憎しみにつき動かれ、もうどうしようもなかったのだろう。

終身刑で服役してから約10年後、大日本帝国憲法発布の際の恩赦により出所した六郎は佐賀県鳥栖で仕出し屋を営み大正6年まで生きたらしい。仇討後の人生が安らかなものであったなら、そう思わずにはいられない。