玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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敬語 映画「崖の上のポニョ」感想

▼本屋でぶらぶらと。なんとなく、ビジネスマナーの本を手に取った。上司に確認することがあるとき「ちょっと、いいですか」は駄目、「お忙しいところ恐れ入りますが、10分ほどお時間よろしいでしょうか」と言うのが正しいらしい。

「ちょっと、いいですか」しか使ったことがなかった。もし、前の会社で上司に「お忙しいところ恐れ入りますが‥‥」などと言おうものなら「どうしたの?お前、会社辞めんの?」と言われる。

同僚の調子が悪そうなときには「どうしたの?」ではなく「どうなさいました?」と訊ねるのが正しいとある。そんなふうに聞けば「お前の頭こそ、どうなさいました?」と心配される。

思えば、ちゃんとした会社で働いたことがない。どうにもいいかげんな所ばかりにいる。仕事を頼んだお礼はお菓子、みたいなところばかり。森永エンゼルパイ欲しさに仕事する。

▼大きい本屋やビデオ屋に行くと、作品の量に圧倒される。ここにあるたくさんの素晴らしい作品、その大部分を知ることなく死んでしまうんだろうな。これからもすごい作品が作り続けられて、それを知ることができないのだろうな。そんなことで憂鬱になりはしないけど、ただ少し残念。

火、つけたろか。

謎の破壊衝動が出てまいりました。

▼映画「崖の上のポニョ」 / 日 2008年

ポ~ニョポニョポニョ魚の子~♪でお馴染みのポニョである。ようやっと観た。

ある日、クラゲに乗って家出をした魚の子ポニョは、幼稚園児の宗介に出会う。頭をジャムの瓶に突っ込んで困っていたところを宗介に助けてもらう。宗介に好意を抱いたポニョだったが、フジモト(ポニョの父親)に海の世界に連れ戻されてしまう。

しかし、ポニョは宗介に会うためにフジモトから逃げ出し、地上の世界を目指すのだった。

よくわからないシーンがあり、それについて思ったことを書いてみました。観てない人には何がなんだかということになりますので、観た人用ということで。

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・現代の家族について

ジブリ作品では珍しく、わりとそこら辺にいそうな家族が描かれている。公式サイトに「不安と神経症の時代に立ち向かおうというものである」と監督の言葉があるので、現代の世相を反映させたものかもしれない。

デイケアサービスセンターで働くリサ(母親)、仕事が忙しく家を空けることの多い耕一(父親)、共働きの両親のもとだからか、手もかからずしっかりとした幼稚園児の宗介。

昔ならば、母親は家に居て子どもの世話をし、母と子は対等ではなかった。前の世代の母親は専業主婦が多かったから育児に時間を割けたし、その分の余裕があったのではないか。リサは耕一が仕事で帰れないときにヒステリーを起こす。ちょっと不安定でありさえする。それを慰めるのは宗介だ。

リサは子どもにインスタントラーメンを与える。仕事で疲れているのだろう。でも、子どもの好きな具を入れてやるし、育児に手を抜いているということでもない。

宗介は母親であるリサを呼び捨てにする。それは、ごく自然な感じで、家族の秩序の崩壊というよりもリサと宗介が対等であるということを示しているようにみえる。

その時代にはその時代の家族の形がある。だから、これはこれでいいんだ、好きにやればいいんだよというメッセージなのかと思った。そして、リサは嵐の夜に勤務先の老人たちを助けに行く。普通なら子どもたちを置き去りにしないだろうが、それは宗介を信頼している故の行動なのだろう。

津波のあと

津波の後にボートに乗った夫婦とその赤ちゃんに会う。大災害の後だというのに、どこかのんびりしている家族。ポニョと宗介が赤ちゃんと別れた後に、赤ちゃんが激しく泣き出す。戻って泣き止ますポニョ。

世界はこんなふうになってしまったけど、でもそんなに悪いことばかりじゃない。笑って生きていこうということだろうか。

・クラゲのドームの中の儀式

ポニョが人間になるためには条件があった。ポニョがどんな姿でもいいという人間の男の子(宗介)がいなくてはならない。ポニョの母親からそのことを訊ねられた宗介は「お魚のポニョも、半魚人のポニョも、人間のポニョも、みんな好きだよ」と答える。この試練に失敗すれば、ポニョは泡になって消えてしまうところだったが、宗介の答えによって無事にその危機を乗り越えられた。

これはやはり相手がどんなふうになろうと、愛さえあれば大丈夫ということだろうか。ここら辺の流れは、少子化問題についての話なのかと思った。津波に象徴される不況で不安定な時代。子育ても、大変である。でも、愛情があればなんとかなる。

ポニョの父親であるフジモトはかつて人間だった。ポニョの母親は人間ではなく、海の守護者のような存在である。ちょっとこれはポニョと宗介の関係に似ている。ポニョの両親もいろいろな困難があったのだろうけど、なんとかなった。だから、ポニョと宗介だってきっとうまくいく。

ポニョが人間になって宗介と一緒になるというのは、若い世代が困難を乗り越えて新しい家族になるということを象徴しており、そこには車椅子の老人たちの助力も必要である。あの老人たちは実はもとから歩く力があったのではないだろうか。車椅子に乗っていたのは、活躍の場がなかったからではないのか。

子や孫の世話(映画の中ではポニョや宗介、リサを助ける)をすることで、役割を与えられ、再び活き活きと輝きだす。社会における老人たちの活躍の場はまだまだあるはずである。それが老人たちが歩ける理由に思えた。そして世界のほころびは閉じ、復興していく。

まあ、不況やなんやかやで大変だけど、子ども作ってがんばろうよ。老人も助けてくれるし、子どもは意外とたくましくて案外しっかりしている。親の世代だってそうやってきたんだ。愛情さえあれば、まあ、なんとかなるって。子どもは世の中の宝であり、未来の担い手である。そういうことかな。

だが、ただの思い込みかもしれない。実のところよくわからない部分が多い。ネットでいろんな方の感想を読んだけど、津波でみんな死んでいる説が多いのに驚いた。なるほどと思う部分もあるものの、ジブリ作品はたくさんの子どもが観る。はたしてその説が子どもに希望をもたらすものかというと、ちょっと疑問が残った。