玉川上水日記

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ドラマ「味いちもんめ」 小説「つむじ風食堂の夜」(吉田篤弘)感想

▼前作のドラマ「味いちもんめ」は、料理学校を出たばかりの板前見習い伊橋(中居正広)が料亭で修行をし、成長していく物語だった。シリーズの最初の作品は、1995年1月に放送されている。実にあれから16年もたっている。今回の放送では、伊橋は立板という役職に出世。京都の料亭「菊花庵」再興のために力を貸すことになる。

主題歌の「ら・ら・ら」(大黒魔季)を懐かしく聴きながら、ボーっと眺めていた。今回も成長した伊橋が周囲と衝突しながらも、努力と根性で乗り切っていく。産地擬装や不景気という昨今のニュースを絡めながらも、根底にあるものは変わらないように感じた。

95年というのはバブル期が91年に終わったとはいえ、まだ景気の悪さを感じなかった。このドラマが懐かしさと共に心地良く感じられたのは、努力すれば良い方に結びつく、困ったときには頼りになる上司や先輩が道を示してくれる、その二つが通用した時代のものだからかもしれない。

今は努力が結果に直結しづらいし、上司や先輩に道を聞いても過去の成功体験がそのまま適用できるでもなく、いっしょにグルグル迷ってしまう。これだけやってりゃ大丈夫!みたいなわかりやすさがない。

景気が悪いというのは、一つの要因だけでなく複合的な要因が結びついて起こっているから、その複雑さを紐解きにくい。その複雑さからの揺り戻しとしての、単純さへの憧れもある。

そんなことを思いながら眺めていましたが、中居さんの伊橋役はピッタリである。適度な調子の良さと血の気の多さを保ちつつ成長してきた伊橋が頼もしかった。いい歳の重ね方をしてきたんだろうなあ、と目を細めてしまったのである。

親か。

つむじ風食堂の夜吉田篤弘

ちょっと今まで読んだことのない本だった。とてもちゃんと説明できる気がしない。

ストーリーがないわけではない。でも、ストーリーの奇抜さ、謎に惹きこまれる、感情を揺さぶられるとか、そういったタイプの話でもない。

すごく気持ちのよい温泉に入ったとでもいいますか、説明をしようとすれば泉質や効能という方向から説明できるのだろうけど、そういううるさいことは言わず、ゆったりと浸かっていたいのである。

日頃、首がもげて血が噴出すとか、バラバラ死体ばかり出てくるのを読む人は、たまにはこういうのもどうでしょう。実はけっこうグロイ描写もあります。なにせ血で血を洗った第二次広島抗争の話がモデルですから。

ちょっと仁義なき戦いの話が混ざりました。

映画化もされています。しかし、この粗筋があるようなないような話をどうやって映画にしたのでしょうか。DVDも観たいなあ。

温泉てのは、好きな人はよく行くし、そうでない人はまったく行かない。そういう温泉みたいな本でした。これからも、ふと開いてしまう気がする。

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