玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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なんでなんで期

▼友人夫婦の子ター坊に会いに行く。彼は今、なんでなんで期にある。なにか疑問があると「なんで~?なんで~?」と訊ねる。友人夫婦にはそれがとてもうるさいらしい。子どもがかわいそうだと思ったが、しばらく一緒にいてわかった。

あれ、うるさい。

「あけましておめでとう」と挨拶すれば「なんであけましてなの?なんでおめでとうなの?」と言われた。挨拶だけで、二つのなんで?をくらってしまった。よく挨拶だけで二つ出たな。

結局、ちょっとそこに座りたまえということになる。

「人に聞く前に自分で考えてみる。仮の答えでいいから、自分なりの答えを出しておく。調べられるようなら調べる。それでわからなければ聞いてみる。聞いた後に、その答えと自分の答えを比べてみる」それが良いのではないかといった。小学校低学年に。無茶である。

ター坊は右手をあげて「わかりましたー!」と元気よく答えた。その直後「でも、なんで答えを自分で考えておくのー?」と言いやがった。何もわかってないじゃん。今、手あげて元気よく返事をしたのはなんでしたか。とりあえず首をしめた。

その、何もわかってないのに堂々と「わかった!」と言う調子の良さは父親譲り。お年玉をあげると「このご恩は一生忘れません!」という調子の良さは父親譲り。

どこでそういうセリフおぼえんの?

▼前の職場の上司と話した。今の三十代は、わからないことにぶつかったとき、考えることに時間を割かない人が多いと言われた。

いきなりネットで検索する。それでわからなければ人に聞く。仕事中は忙しいので仕方がないといえばそうなのだが、もっとわからないことを大切にしたほうがよいという。

答えを性急に求めるのではなく、まずじっくりと考えてみる。それでもわからなかったらひたすら調べ考える。人には聞かない。わかった後は、わかる前には戻れない。わからないという状態を楽しむのだ。

そのわりにこの人はよく「こんな簡単なことがわからないとは!」と、PCを蹴飛ばしていた。物に当たっていた。あれ、わからないことを楽しむって言ってなかったっけ。ねえねえ。