玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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電飾命 大雑把

▼駅までの道。毎年この時期になると派手なイルミネーションを飾る家がある。

今年はまだ12月にもならないうちに飾りだした。デパートですら12月からだろうに、ちょっとフライング気味である。近所のおばちゃんたちがその家を見上げていた。この辺りでは、ちょっとした冬の風物詩になっている。

この家が張り切りだすと年末という趣である。三階建ての家のてっぺんからツリーの電飾を垂らし、その表面にはプレゼントを担いだサンタと、そのソリを引くトナカイ、雪だるまにメリークリスマスの文字の電飾が輝く。毎年これに命をかけている感じがいい。しかし、この家は寺である。実にパンクですなあ。

檀家の反対に負けずがんばってほしい。なんならキリスト教に改宗してはどうか。

▼仕事を一つ頂きました。この仕事をするにあたって、二人のうちから一人パートナーを選ぶことになりました。二人とも能力は似たような感じですが、極端に言えば一人は大雑把で、一人は細かいところがあります。やはり仕事としてするからには、性格が細かいほうがミス無くできるように思います。

で、仕事の場合は細かいほうを選ぶのだけど、はたして一緒に暮らす場合どうなのだろうとちょっと考えた。すると大雑把なほうを選んでしまいそうである。

誰かと暮らす場合、自分が相手より大雑把か、相手が自分より大雑把か、どちらかになると思う。自分が細かい相手に合わせるよりも、大雑把な相手に合わせるほうが、合わせるストレスというものが少なくてすみそうである。それは「基準を緩める」ということになり、自分も楽をできるからだろうか。

すると、相手の立場に立つとすると、わたしのほうが大雑把なほうが相手にとっては都合がよいわけか。そうかそうか。

話はまったく変わりますが、最近は細かいことがまったく気にならなくなりました。寺なのにクリスマスの電飾とかも、どんと来いです。キリスト教も仏教も、宗教ということでは同じだし一緒に仲良くね。

いやあ、なんて大雑把な人なんだ。実に大雑把である。

こんな大雑把なわたしをどうかどうか一つよろしく。