▼「もうクヨクヨしないことに決めました」というメールをもらった。
送り主は、元同僚である。
人それぞれ問題に突き当たってから立ち直るまでの道筋は違うと思う。どういった道筋で、クヨクヨしないことに決めたのか聞きたいなあ。
僕は落ち込むだとか、クヨクヨするだとか、そういったことはほとんどない。ほとんどないというと「あの人、考えてない」とか「やっぱりバカなんだ」と思われるので、たまに落ち込んだフリもする。実はほとんど落ち込まない。
なぜなのか考えてみると、落ち込むとか、クヨクヨするということにあまり意味がないからだと思う。すごく嫌なことが待ち受けている状況で、それが避けようのないことだとすると、まあどうしようもないかとなる。絶望して問題が解決するなら絶望するが、その絶望している時間がもったいないような気がする。僕がとても積極的で前向きな性格というわけじゃなくて、単に絶望する意味がないというだけの話なのである。
時間がもったいないから、クヨクヨするのはやめたほうがいいと思う。そういうこと言うと、それができたら苦労しないとおっしゃるのでしょうが。
「クヨクヨしないことに決めました」 というメールをもらって思ったのは、女は、決めるね。男よりも決める。「もう会わないことに決めました」とか。
なんでそういうこと決めるかなー。なにその無用な決断力。
わたしなど、決めないことにかけてはなかなかのものである。300円の物を買うのに30分ぐらい迷っている。
▼神奈川県横浜市に「たまプラーザ」という地名がある。
わたしの友人に、ここに住んでいる人がいるが、第三者を交えて住所の話になると、彼は「横浜に住んでいます」という。なるべく、たまプラーザには触れたがらない。
神奈川県民の横浜好きは多くて、住所を聞いたときに神奈川ではなく横浜と答える人はよくいる。だが、たまプラーザ住民のたまプラ隠しというのもあるのではないか?ないか?怪しんでいる。
「プラザじゃなくてプラーザって何?」と言われるのが鬱陶しいのかもしれない。言うほうは一回きりだが、言われるほうは毎回なので飽き飽きである。たまプラ住民にとっては「もうそれ死ぬほど聞いたわ」という話なのだろう。まあ、たいしておかしな地名でもないんだけども。
僕が彼にやる遊びに、たまプラーザを言わせる遊びがあります。
わたし:どこ住んでるんだっけ?
彼:たまプラーザ
わたし:え?なにプラーザ?
彼:たまプラーザだって
わたし:え?たまなにーザ?
と、やりますと耳をギュイーっと引っ張られます。痛い痛い。
人が嫌がることを言うのはやめましょうね。