玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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赤めだか 無能の人

▼赤めだか(立川談春

立川談志の弟子、談春の修行時代から真打ちになるまでの自伝。

談志が課す厳しい修行。理不尽な命令。談志という人の思惑や優しさは、わたしのような人間に推し量ることはできないものの、落語家にとっての修行とは、辛く、でもやはりなくてはならぬものなのだろう。まがりなりにも社会の形が整えば、あまりに理不尽な経験をすることも少なくなる。何不自由なく、なんの苦労もなく育てられた子どもというのは、実に哀れなものである。その温室の中で一生過ごせるのならともかく、多くの人間は社会に出なければならない。とくに芸の世界ならば、その厳しさはひとしおである。ならば、師匠が弟子にしてやれることといえば、これでもかという理不尽さや厳しさを弟子に与えてやることではないか。

この本は談春の自伝ではあるものの、それは談志への長い長い恋文のようだった。

「落語とは人間の業の肯定である」

駄目な人間の愚かさを哀れさを認めてやる。やはり談志は厳しくも優しい人なのだろう。

▼元の上司とお会いした。かなり変わった人なので、次の会社でちゃんとやれているか、心配しておりました。無職のわたくしが。

わたしの心配は杞憂に終わり、ちゃんとやっていた。けっこうちゃんとしたところで働いていた。二十歳前に大学卒業(飛び級)という秀才に囲まれ、社内文書は英語、社内公用語は3、4ヶ国語(ベース英語)という地獄らしい。わたしなら、その日のうちに故郷に帰る。

そして、話を聞いてみれば外資でかつベンチャーキャピタル(以下VC)からの出資を受けているということで、かなりかっちりと管理をされている。

自分が何の業務にどれぐらいの時間と経費をかけ、どういった成果をあげたか、それを会社の業務管理ソフトに毎日入力する。そのデータと社の会計ソフトが繋がっているかはわからないのだけど、とにかく財務内容と社員の業務・評価が毎週、VCに報告される。

VC側では、それを見て、この社員はいる、いらないといった評価を下す。今までは、企業は当然ながら社長にすべての人事権があり、株主は決算資料を見ることはできるものの、直接あの社員がいるとかいらないとか、そこまで踏み込んだ評価はしてこなかった。業務内容にしても、誰に余裕があり、誰がいっぱいいっぱいなのか、管理がたやすく、それによって補う削るといった人資源の割当が効率よく行えるということらしい。業務を的確に切り分けることにより、替えがきくようになり「あの人でないと、これはわからない」というリスク回避にもつながる。

突き詰めると、管理職以外はパートアルバイト(それが技術職でも)で運営というのも十分実現可能である。これからの働き方は、コストと業務効率化、リスク回避の面からよりパーツ化するのだろう。替えがきくので、故障したパーツ、無能なパーツはすぐに取り替えられ、株主の意思をより直接的に反映した集団が組織される。そういった組織が勝ち抜くのだ。なんつって。

あ、なんか憂鬱になってきた。

とはいえ、友人が勤める会社の社長のように「アイツは気に入らないからクビ」という、わかりやすい人も困り者。

しかし、これからはわたしみたいな無能一直線のような人間は居場所がないんじゃなかろうか。恐ろしい。わたくしをあなたの会社の隅に、マスコット感覚で置いてみてはいかがでしょうか。お菊人形感覚で置いてみてはいかがでしょうか。二ヶ月に一度、散髪に連れて行ってください。

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