▼唐突に秋。肌寒し。長袖を出す。
先日まで麦茶ばかりだったが、コーンスープでも飲みたい。
友人から怖い話を聞く。
わたしも似たような話を聞いていたので、都市伝説として広まっているのかもしれない。
▼あるマンションに女性が住んでいた。
彼女はその晩は帰りが遅く、日付が変わろうかという時間だった。ようやくマンションのロビーに着いてエレベーターを待つ。マンションは5階建てでそんなに大きくないものなので、この時間にエレベーターを使う住人がいるのは珍しいことだった。
エレベーターの扉が開いて、一人の男とすれ違った。彼は帽子をまぶかに被り、背中を丸め、何かに急き立てられているかのようだった。急いでいたのか、彼女とすれ違うさいに肘の辺りが軽く当たった。
「すみません」
そう彼女は詫びたが、男は聞こえなかったのか歩みを止めることなく立ち去った。
部屋に着いて灯りをつける。今まで暗くてわからなかったが、彼女のコートの左肘の辺りに赤い染みがついている。よく見るとそれは血のようだった。どこで付いたものか、覚えがなかった。先ほどのみょうに急いでいた男のことが浮かんだが、疲れていたこともあり、その日は特に気にもせず寝てしまった。
翌日、彼女のマンションで殺人事件があったと騒ぎになっていた。隣の住人が言うには犯人はまだ捕まっていないそうである。彼女は、あの男のことが気にかかったが、コートの血があの男に付けられたものとは断定できず、これといった確証があるわけでもない。警察が事情を聞きにきたときに男のことを伝えればよいかと思っていた。
事件から数日後のこと。
その時期の彼女は仕事が忙しく、前日も帰宅が遅かった。そのため、その日は午後から出社する予定だった。
玄関のチャイムを鳴らす音がする。
彼女がドアの覗き窓から様子を見ると、警官が立っている。警官は事件のことを聞きに来たようだった。
「あの日、何か不審な人を見かけませんでしたか」
そう尋ねる警官に、あの男のことを切り出そうとした。だが、午後一番に出社しなければならず、のんびりと話している時間はない。
「特に何も見ませんでした」
「そうですか。何か気づいたことがありましたらご連絡ください」
多少の罪悪感を感じたが、嘘をついてやり過ごしてしまった。
その日も仕事が遅くまでかかり、ようやく帰宅する。テレビを点けるとマンションで起こった殺人事件が解決したニュースをやっていた。
テレビに映し出された犯人の顔に見覚えがあった。朝の警官だった。
▼よく出来ている話だと思う。
だが、この話には明らかにおかしな点がある。ある殺人を隠すために、もう一つ殺人をおかそうとする。常識的に考えてリスクが高すぎる。わたしならそんなことはしない。
いや、その書き方はどうかと思うけど。
その矛盾が良いのではないだろうか。
動機が怨恨や金銭というのなら、犯人の思考を追うのはそんなに難しいことじゃない。思考が追えれば理解ができる。理解ができるものは怖くない。この犯人の場合、割りに合わないことを平気でやる。その得体の知れなさが怖さの根源なのではないだろうか。その部分に気づくにしろ、気づかないにしろ、聴き手はどこかで薄気味の悪さを感じているのだと思う。その薄気味の悪さの魅力がこの話を広く流布させることになったのだと思う。
リアリティの無さという短所を長所に変えるアイディアが入っている。これは物語だけに適用されるものではなく、短所を長所に変えて解決を図るというのは、優れたアイディアの特性の一つではないだろうか。
▼友人夫婦の子、ター坊(小学校低学年)にこの話をしてみた。
ター坊が怖がるかと思ったら、ター坊の父親が一番怖がっていた。肝心のター坊は「へー。怖いねー。びっくりしたー」とあまり怖がらなかったもよう。
「人は殺しちゃいけないんだよー」と無邪気に首をかしげて言った。
いや、なんかそのセリフ怖い。怖かったので「でも、たまにはいいんだよねー」と返したら「え?ダメでしょ?」と言われた。
ああ、つっこむほどに彼は成長しているのか。
その成長が嬉しい平成22年初秋。
変な終わり方。