▼執着をなくしていきたいと考えている。
つまらない欲望から自由になりたい。
何かを欲しがるよりも、自然に欲しくなくなれば、それだけ楽だろう。そのほうが楽に生きられるのではないかと思うからである。
執着は一つのエネルギーだから、それを捨てると早く死んでしまいそうではある。それは、それで一つのあがりかもしれないから、かまわない。
しかし、楽に生きたいと思うのも、また執着なのだろう。
なにものにも執着を持ちたくないという思いも、また執着なのだろう。
生きているといろいろなものを抱え込む。
生まれてきたときはまっさらなキャンバスだったのに、生きているだけでいろいろと描き込まれる。執着をなくしたいというのは、それを白く塗りつぶそうというようなものだ。
塗りつぶしてはみたものの、白い絵の具の下には今まで描き込まれたものが消えもせずに埋もれている。キャンバスを何も書いていない状態に戻すことはできない。だから、きっと描かれたものを受け容れるしかないのだろう。
と、すると執着をなくすことなど出来ないのかもしれない。何かに執着し続けて、ふとそれがどうでもよくなって、受け容れることができる。そのときにはじめて執着が消えるのではないだろうか。
生きたいように生きるしかない。めいいっぱい執着すればいい。
なに書いてるんだろうなあ。こんな抽象的なこと書いて。出家しちゃうのかなあ。
特に悩んでもいないのに支離滅裂とは、どうしたことだ。