玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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蓄積される膨大な「なんとなく」

▼カレー
晩にカレーを作成。ヒヨコ豆を入れたら、ジャガイモのようにホクホクして美味しい。
カレーってのは、誰が作ってもそれなりに美味しいからいい。
私もいつかはカレーのような人になりたい。
よく煮込んだカレーのような人になりたい。
何を言っているのか、私にもよくわかりません。

▼蓄積される膨大な「なんとなく」
花火大会に出かければ花火を。
食事に出かければ食事を。
街中で猫を見かければ猫を。
友人は、パチリパチリと携帯カメラで撮っている。
「そんなに撮ってどうするの?」と聞くと「なんとなく撮ってるだけ」という。
そうなんだろう。なんとなく撮っているもののなんと多いことか。

以前は撮る人は、いかにも「撮るぞ」という覚悟があったように思う。
それは、カメラだったり、三脚だったり、カメラを首から下げているという格好だったり、撮るぞ撮るぞのやる気というか。
撮る人と撮らない人の間には、深い深い川が流れていたのです。
気軽に撮れるようになって、なんとなくのものが満ちていく。

webではなく、手で日記を書いていた人は少ないだろうけれど、ブログをなんとなく書いている人は多いと思う。
なんとなく記録されていくものが増えていく。

機械の性能が上がれば、この「なんとなく」も写真からムービーになるのだろうか。
いつかは人の目にナノテクが詰まったカメラを積むことが可能になって、その人が見たもの、聞いたものをデータとして記録できるようになるかもしれない。技術的には可能でも、プライバシー権や情報の保護を考えると法で許されるとは思わないが。
仮にそうなれば、私が見たもの感じたものを、私の孫の世代にでもなれば擬似体験できるかもしれない。人のデータだけでなく、野良猫や、鳥、鯨、あらゆる一生を。
そんなデータが売り買いされる時代が来るかもしれない。