玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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神様ブーム

▼オレンジ色の立派な甘夏6個を買う。甘夏の亜種らしいが初めて買った品種。見た目はきれいだが、あまりにすっぱくて往生する。残り5個はジャムにすることを思いつく。果肉に砂糖を入れて煮詰めるだけだが、焦げないようにかきまわすのが魔女のようで楽しい。ヒッヒッヒッヒ‥‥。40分間、魔女となった。こういう仕事ないかな。

 

酸味がとぶかと思ったら、できあがったものもわりと苦くて困っている。3瓶もできてしまった。しばらくは自分を説得しながら消費するしかない。

 

 

▼大谷選手結婚のニュースを見る。現役を引退するまで結婚しない気がしていたけど、そんなことはなかった。毎日たくさんのメディアに囲まれていながら、結婚の噂がまったく出なかったことに驚く。周りの人が、信頼できる良い人たちなのだろう。誰も秘密をもらさなかった。今の世ではとても難しいこと。

 

大谷の奥さん、隠れて3億ぐらい使ってもまったくバレなそうだな。

 

 

▼「三月は神様ブームでいく」と宣言した。隣席のTさんは「へー」と画面から目を逸らさず、セブンイレブンのコーヒーを一口啜った。全然関心を持たない。もっと興味を持ちなさいよ、張り合いがない。仕方がないので、元気だけが取り柄の24時間くんのところに行き、同じ宣言をする。24時間くんは「いいっすねえ! 神様ブーム。で、なんですかそれ?」という。わかってないのに「いいっすねえ」と調子を合わせるところが体育会系の良さよ。何も考えてなくてたいへんよろしい。24時間くんの頭は使うためじゃなく、ないと落ち着かないからとりあえず肩の上に置いている。

 

四十を超えると人から叱られなくなる。怖いものがなくなってしまう。それが成長を阻害し、傲慢になる理由の一つではないか。人間、常に怖いものがないといけない。そうでなければ堕落する一方だ。このままでは私も政治資金パーティーを開いて裏金作りに精を出しかねない。怖いものを作り出して、人としての正しい道を歩みたい。

 

科学技術の発達によって、二十世紀の日本人は神仏を殺すことに成功した。もはや真面目に神様を信じる人は少ない。今まで神仏によっても保たれていたモラルはどうなったのだろう。神仏に替わる何かが現れたかといえば怪しい。モラルの形成には周囲の人間、教育、読書、信仰などの力が大きい。だが、人々の信仰は消えうせ、読書量も減った。今では漫画やアニメが読書の代わりとなっているのかもしれない。今は大人向けの漫画やアニメも増え、それはいいことにも思えるのだ。こうしたものが実はモラルを形作っているのではないか。

 

本当にすばらしい人間ならば監視の目がなくてもきちんとした行動がとれる。だが、私のような人間はやはり駄目だ。怠けてしまう。そこで次善の策ではあるが、あらためて神様システムを導入した。神がいるものとして今月は生きていく。今まで無神論者として生きてきたが、さあ今月から大変だぞう。信号無視はできないし、スナック菓子の袋食いもできない。遅刻しそうなとき「体調が悪いので医者よってから行きます」と嘘をつくわけにもいかない。なにせ神が私を見ている。神の導入によって生活は変わるのだろうか。しかし、いないものをいることにするというのは、なかなか難儀な。これまでの人生、いない方向でやってきたのだから。

 

給湯室に、部屋に奇妙な虫が出る女こと虫ちゃんがいた。虫ちゃんに「『趣味は何か』って訊いて」と頼む。あからさまに面倒臭そうな表情はしたものの「え‥‥趣味はなんですか?」と訊いてくる。「聞きたいか。趣味は‥‥神だ」というと「あー、いや、ついにですか‥‥ついにそっちにねぇ‥‥」と、首を振りながら部屋を出て行った。

 

宗教者は常に迫害される。受難が信仰を育てる。聞こえるところで「アイツ、アホやで」「ソフト老害」などと罵る声が聴こえる。おまえら全員地獄行きじゃ。私だけが天国行きのチケットを持っている。三月中は神様がいる設定で生きていく。

幸福と不幸の感じ方

▼買い物。寒さも緩んできて陽の光が柔らかくなってきた。春の訪れと共に花粉症の訪れも感じる。ムズムズ。

 

歩いてしばらくすると靴の中に何かあることに気づいた。どこかで小石が入ったらしい。靴を脱いで逆さにすると小石が出てきた。哲学者のショーペンハウアーは、人がふだん健康体でいてもほとんど幸福を感じないが靴に小石が入ったときは如実に痛みを感じると書いている。人は幸福を当たり前として受け止めてしまうが、不幸については敏感に反応してしまう。

 

ショーペンハウアーは小石が靴に入ったとき、幸福と不幸の関係について考えたのだろうか。私は、小石が靴に入ったとき「小石が靴に入ったな」と思いましたね。ここに私とショーペンハウアーの差がある。同じものを見ても、ボーッと生きているとここまで感じ方が違うものか。

 

ショーペンハウアーは昔の人ですが、中学生ぐらいでも読めるので嬉しい。言い回しがやたらかっこう良くて、友人とトランプをやるときに良く使っていた。「運命がカードを混ぜ、俺たちが勝負する!」など。「人生は配られたカードで勝負する」という警句があるが、これもショーペンハウアーの言葉を少しかえたものかもしれない。中二心に刺さる言い回しなのだ。

 

学校の先生は「本を読め」といっていたが、ショーペンハウアーの言葉はそれより少し先にあるように感じた。「読書とは、自分ではなく他の誰かにものを考えてもらうこと」と書いており、新鮮な驚きを覚えた。内田百閒も似たようなことを書いている。「読書は他人のおしゃべりを目で聴いているようでうるさい」だったかな。

 

ショーペンハウアーも百閒も当然読書を否定しているわけではない。読書はあくまで道具や材料でしかなくて、最終的な目標は自分の頭で考えることだろう。たとえ本に答えが載っていても、自分の頭で考える必要がある。あっているか間違っているかは問題ではない。なぜわざわざ自分でものを考えなければならないかといえば、人生の主人公は自分なのだから。人の考えをなぞるのではなく、自分で考えることこそが生きることである、というのが学生時代に私が出した結論だった。

 

あれから30年以上経った。このことについては、特に意見は変わっていない。というか、あらたな発見は何もなかった。進歩ゼロでここまでやってきた。30年間ずっと寝てたのでは。恐ろしい。

 

今日は、二年ぐらい前からひたすら「閉店セール!」をやり続けていた店が本当に閉店していたのを見た。目を疑うとはこのこと。永遠の閉店セールではなかったのか。ショーペンハウアーは「永遠は一瞬の中にある」といった。そうか、まさにねえ、などと。

 

なにもわかってない人間のブログ、よく読んでいるな。

 

 

▼打ち合わせ。公の場で、X(旧ツイッター)、インスタグラムなどは滑らかに口から出るがTikTok(ティックトック)だけはまだ恥ずかしい。チックトックといってしまって笑われないか心配だ。ジジイは口が回りにくい。

 

私はおじさんが恐る恐る「ティックトック」と口にするのを注視している。“変なこといってないよな”と、微妙な照れと不安が入り混じった口ぶりになるのを感じる。共感性羞恥でドキドキする。SNSやショート動画といえばいいのに、無理してティックトックといっているのが若者の文化もわかっていますといっているようでたまらない。興奮する。新しい扉が開いたのかもしれない。

 

ゴリラ部長が緊張して「ティ、ティックトック」といっているのを見て「ジジイが無理してティックトックといってるのを見るのはたまらんな」といったら、首を絞められた。私なりの誉め言葉だ。わかりませんか、この感覚。

 

 

▼Marvel Snap

コンクエストのインフィニティで5連勝がずっと達成できない。あのモード難しすぎるのでは。せめて4勝にしてくんろ。ヘラ、モードック、ドラキュラ、ヌル辺りがくればなんとかなるのだろうか。ならん気がする。腕がないもの。

 

 

▼今日もAIにブログタイトルを提案してもらうと「若者の文化に興奮!ティックトックの扉」と出してきた。あいかわらずポンコツで和む。だが、ひょっとしてですよ、私が安堵することを見越してAIのやつはわざとポンコツな提案を‥‥ま、まさか、これはAIによる高度な介護? そ、そんな‥‥私はいつのまにかAIの掌の上に‥‥えええええ!? 

 

アホらし、そんなわけあるかい。あいつはまだアホ。全国の駅名をいえるだけの幼稚園児。などと思いながら2月も終わる。

帝国ホテルの不思議

▼ここ何年風邪を引いていなかったが、立て続けにかかってしまった。ふりかえってみると先月の18日に風邪の日記を書いている。今回の風邪は扁桃腺が腫れて、右顎の下辺りを上に押すと痛い。ほほう、これがうわさに聞く扁桃腺の痛み。たまにぐりぐり押して鈍い痛みを楽しんでいる。アクセサリー感覚。いや、本当に痛くはあるのだけど。

 

周囲でもだいぶ風邪が流行っていると聞く。部屋に奇妙な虫が出る女こと虫ちゃんから、打ち合わせの時間をずらしてほしいと連絡があった。風邪かと思いきや「前の日、酒盛りをして盛り上がっちゃって寝坊しました」といわれる。酒盛りて。山賊か。

 

私が会社を遅刻するとき、寝坊したとしてもつい「体調が悪くて医者寄ってからいきます」とか「歯が痛くて」とか、つまらぬ嘘をついてしまっていた。寝坊で遅刻など社会人失格と思いこんでいた。その点、虫ちゃんの潔さよ。つまらぬ嘘をつくより、こういう人の方が信用できるのではないか。

 

などと書いたものの、でも、うーん、酒盛りねえ。つまらぬ嘘つきと正直者の山賊、どちらが良いのか。

 

 

▼帝国ホテルの不思議(村松友視)

帝国ホテルに勤務する人たちへのインタビューをまとめたもの。私は今まで一度しか行ったことはないのですが、場の雰囲気に気圧されることなく心地良いサービスを受けることができたのもこれを読めば納得できます。

 

当たり前と思われるサービスを提供するためには、その陰でいくつもの当たり前ではないことが行われている。ベルマンは全員が人工呼吸用のマウスピースを携帯し、救命技能認定と心臓マッサージの資格を取得しているという。在職中、この資格が役に立つ機会がない従業員もいるだろうが、それでもサービスの裏側にある厚味を感じる。宇宙飛行士の訓練の多くが、非常事態への対応に費やされるのと同じかもしれない。

 

また、部屋まで客の荷物を運ぶ際、その客が「話をしたい客」か「話しかけられたくない客」か「話しかけられたくなさそうでも、実は話したい客」かなどを一瞬で見きわめて対応するという。観察力の鋭さも問われる。客は十人十色ではなく、一人十色というほど個性が強く、難しいものだという。

 

帝国ホテルは古いだけではなく、いくつもの新しいサービスを開発している。客自身が自由に食べ物をとるバイキング方式、関東大震災後から行われはじめたというホテルでの結婚式など。

 

たぐいまれな観察力、サービスを追求した職人集団、伝統を守りつつ新しいことに貪欲に取り組む企業姿勢など感心させられることが多いが、根底にあるのはお客を喜ばせたいという親切心かもしれない。こんなにも真剣に仕事に取り組んでいる人たちがいるということに、なにやら救われる思いがするのだ。接客業の方はもちろん、そうではない方にもお薦めの一冊。

 

そういえば子供の頃、父がメロンを凍らせたシャーベットをお土産に持って帰ってきた。帝国ホテルで披露宴があり、その引き出物だったと思う。どこかの企業か財閥の御曹司の披露宴で、普段はメニューにないらしいが特別にメロンを丸ごと一個凍らせたものを作らせたのだとか。「ブルジョアジーってのはまったく嫌味だねえ‥‥」などと文句をいっていたが、一口食べてみてその美味さに驚いた。その晩のうちにメロン一個全部食べてしまったと思う。美味しさという絶対の真実の前には、主義主張など易々と吹き飛ぶということを教えられた。ブルジョアジー万歳! どこまでもついていきまっせー! となった。安い。