玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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マナ派でもカナ派でもないファン

▼スーパーでは大量の恵方巻が売っていた。物によっては二千円近くする。たっかー。

 

すっかり定着した恵方巻だが、最近は豪華すぎて少し敬遠されているような。もはやスーパーでも半額で売ることを前提に値段をつけている気もする。なんとなく反発してマグロの刺身を買ってしまう。美味し。

 

 

 

▼喫茶店で24時間くんと話す。チェーン店ではなく、メニューにピザトーストナポリタンがある昔ながらの喫茶店。嬉しくてピザトーストを頼む。24時間くんは体育会系だからか、礼儀正しく声が大きい。思ったことをすぐ口にするタイプ。脳から口までの間に、発言をチェックする検閲官がいない。自由の国の人よ。

 

「ここはいつも人がいないから、よく来るんです!」などと、注文をとりにきた店主の前でいう。悪気はないのだろう。店主はちょっと苦笑いを浮かべていた。店主がいったあとで「店の人に悪いから『いつも人がいない』とか、いわないほうがいいよ」といった。彼は神妙な顔をしていた。

 

会計のとき、24時間くんは店主に「先ほどは本当に失礼なことをいって、静かで落ち着くということをいおうとしたのですが」と頭を下げていた。店主は「本当に人がいないから」と笑っていた。べつに謝れといったわけではないが、根が素直なのだろう。悪いと思ったとき、すぐに謝れるというのは立派なことかもしれない。歳をとればとるほど頭を下げにくくもなる。

 

素直さというのは頭の良さほど評価されないが、大切な美点なのではないか。素直であったり、親切な人は見ていていいものだと思う。そういう人のために、何かしてやりたくなることがある。頭が良いだけの人にそれは感じない。人を動かす力を持つ人というのは、そんな魅力があるような気がする。

 

 

 

▼24時間くんと雑談で、好きな芸能人の話になった。彼は「マナカナ」と答えた。「マナカナって、あの双子の?」と訊くとうなずく。好きな芸能人でマナカナって答えた人、初めて見た。写真撮っていいか?

 

変わっている。いや、べつに好きな芸能人にマナカナを挙げようが猫ひろしを挙げようが犯罪ではない。誰を好きでもいいんだけど。「マナとカナどっちが好きなの?」と訊けば「どっちでもいい」という。なんだそれは。好きな理由を訊いたがよくわからなかった。個性が尊重される時代になって、双子として生まれてきたマナカナ。双子というのはそもそもどちらがどちらでもいい、なにせ見分けがつかない。唯一性を尊重された時代のあだ花としてマナカナに魅力を感じるのだとか。

 

私達はそれぞれ「世界に一つだけの花」などではなく、常に他人と取り換えがきく存在なのではないか。それを体現したのが双子という存在だという。マナカナを語る24時間くんの目は爛々と光り、興奮で呼吸が荒くなっていた。開けてはいけない扉を開けてしまった気がする。私はとんでもなくヤバい人と話しているのでは。

 

だが、マナカナを好きな理由を聞くと、そもそもマナカナではなく双子が好きなだけに聞こえる。「ザ・たっちじゃ駄目なの?」と訊けば、目を丸くして絶句したあと「話になりません‥‥」と否定した。マナカナと、ザ・たっちの間の壁が私にはよくわからなかった。彼はマナカナファンのオフ会にも参加したことがあるという。なんでもあるのだな、オフ会というのは。マナ派とカナ派の間で、イスラエルパレスチナのような熾烈な争いがあるかといえば、そんなこともないらしい。でも、みなどちらが好きというのがあるとか。そんな中、24時間くんは「双子である存在のマナカナが好き。髪型も服装も同じにして完全に見分けがつかなくしてほしい!」と主張したという。わかりやすくヤバい奴じゃん。

 

マナカナファンの間でも、見てはいけないものを見るような目で見られたとか。芸能人というのはつくづくたいへんな仕事だと思いました。なんだかよくわからないファンの恐ろしさよ。

 

 

 

▼映画の感想『さらば愛しきアウトロー』を書きました。ロバート・レッドフォード引退作。今までご苦労さまでした。人を傷つけなかった銀行強盗フォレスト・タッカー、実在した人物を基にした映画です。泥棒やるにも哲学は必要だと思いました。