玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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説明

▼「説明」についての本を読んでいる。著者は理屈っぽい人で、「説明」とは何かを語る前に、まず「説明」を定義しなければならないとある。それはそうだ。そして、説明とは何かを定義するためには「定義とは何かを定義する必要がある」と書いてある。なかなか本題に入らない。この次は、定義するということはどういうことかを定義しそうである。本題に入るのはいつの日か。

前にいた会社の上司がこんな感じだった。いいかげんなわたしだが、なぜかこの上司とは馬が合った。



▼スーパーに買い物に行ったら、安保関連法案反対の運動をしていた。「安部はただちにやめろ」と気勢をあげて盛り上がっていた。もっとひどいことも言っていたが、とりあえず安部首相とか安部氏と言ったほうがよいのではないかしら。

過激になればなるほど組織内では盛り上がるが、外から見ていると少し怖く見える。危うさを感じるのだ。自分たちがどう見えているか客観性に欠けているように思う。過激な人が一部いると、全体もそう見えてしまう。

やはり弱者の側にいる認識があるから呼び捨てにするのだろうか。強者が呼び捨てにすると、それは権力による弾圧やいじめを意識させてしまう。が、弱者の側なら礼を失してもよいかといえばそうではあるまい。そういう基本的なところができていないところにも危うさ、弱者を盾にした傲慢さを感じる。

関西のおばちゃんは電車内などで子供が騒いでいると「本当に元気なお子さんで」と言うと聞いた。いっそ、それぐらい婉曲に言ってみたらどうか。「安部さんは本当に勇ましい法案をお作りになって」

わけがわからなくなる。



▼どうしたの急に時事の話して。バカが政治の話して。もうしない。ツナサンドと蒸しパンの話だけをするブログでありたい。

で、先日、お世話になっている会社に新しい女性が入った。まだ姿を見ていなかったが、隣席のOさんによると、すごくかわいい人らしい。実際に会ってみたら、そうでもなかった。これはよく言われてるが、女から見たかわいいと、男から見たかわいいはまったく別物のようだ。

新しく来た女性は、かわいいというよりかっこいいに近い。真矢みき天海祐希などの宝塚男役路線である。これは凛々しいとか、さっぱりしているとか、ジャングルで一人で生きていけそうとか、そういう方向であって、かわいい方向ではない。なぜかわいいに分類してしまうのだろう。

車が一台あったとしてエンジニアに見せれば性能側からの評価、デザイナーに見せれば外観の評価が主になるだろう。人は自分が興味がある部分を重点にして考える、というか、そこからしか物を見られないのではないか。かわいいという人は、かわいさに重きを置いており、かっこいいという人はかっこよさに重きを置いているという。

なんだか当たり前のところにたどり着いてしまった。長々と書いて、当たり前のところに着地しますね、いつも。飛躍したい。
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