玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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伯母

▼今年も、はや霜月である。フライパンが駄目になったので買いに行く。こうして、いつ駄目になったか日記に付けておけば、だいたいどれぐらいの周期で壊れるのかがわかる。価格と性能の比較もできよう。日記を10年以上付けていて今やっとそのことに気づいた。今までわからなかったのが逆にすごいな。無駄に生きている。

賢い主婦への階段をまた一段上がってしまった。残りあと980段ぐらいでしょうか。一段上がるのに約十年かかります。

いつも行くスーパーで鮮魚売り場の人から「大将」と呼ばれる。足軽レベルのわたしに大将とは、どんな顔をしていいかわからない。足軽、レベル1、装備竹のやりという大将。スライムとドラキーにやられる大将ですが、よろしいか。

向こうもべつにわたしが本当に大将と思っているわけではないのだから真面目に「大将ではありません」と否定するのもバカバカしい。というか、否定されても気持ち悪い。「なんか変なヤツいた」となる。

キャバクラの前を通っても「社長」と言われるが、あれも居心地が悪い。年齢にしろ貫禄にしろ、呼び込みの人のほうがよっぽど社長っぽいのだ。いちいち気にしても仕方ない。みのもんたは、どんな年齢の女性に対しても「お嬢さん」と呼んでいたが、あれと同じなのだろう。意味などない。みのもんたシステムである。

▼で、先日は親戚が集った。隙あらば集うのが親戚である。母の子供の頃の話を聞いた。伯母が5歳か6歳の頃のこと。伯母は母の子守をしていた。

祖母は工場で働いていたから日中は家にはいない。祖母も母を生んですぐ働いていたことを考えると、家計に余裕はなかったのかもしれない。伯母は小学校が午前で終わり、家に帰ると、工場で働く祖母のところまで母をおぶって行く。お乳を飲ませるために毎日往復4キロの道を5歳の女の子が赤ん坊を運ぶのだから大変な話だ。その途中にはいじめっ子がいて、赤ん坊を背負っている伯母は毎日からかわれたらしい。伯母は嫌でたまらなかったという。そんな状況の子をからかうとは鬼か。ちょっと笑ってしまった。ひどいやつである。

ただそれだけの話なのだけど、そのような苦労をして母を育ててくれたので今のわたしがいるということか。「ええ、その節は母がお世話になりまして」などと言えば「おまえ、なに?」ってなるからやめといた。とはいえ、ありがたい話。