玉川上水日記

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映画「ル・コルビュジェの家」

ル・コルビュジエの家
El hombre de al lado / 2009年 / アルゼンチン / 監督:ガストン・ドゥプラット、マリアノ・コーン / コメディ


最高の家に住む嫌なヤツ。
【あらすじ】
近代建築の巨匠ル・コルビュジエが設計した邸宅に住むデザイナー、レオナルド(ラファエル・スプレゲルブルト)。ある日、隣人のビクトル(ダニエル・アラオス)がレオナルド宅に向けて窓を作るためにハンマーで壁を壊し始める。「そんなところに窓を作られたら、ウチが丸見えじゃないか」と揉めます。


【感想】
映画を撮るからには、壮大だったり、感動的だったり、はたまた人を驚愕させようとしたり、何か訴えかけたいものがあるから作るのだと思う。この映画のすごいところは、どこまでもテーマが小さいことである。世界の危機とか、経済格差とか、人種差別とか、一世一代の恋愛とか、一切出ない。ご近所同士の小競り合いがずっと続く。窓を作るか作らないかで二時間揉める。よくこれで映画撮ろうと思ったな。感心しました。

わたしだけではないと思うが、人はちょっと立派なことや恰好いいことをつい言おうとするから駄目である。この映画に出てくるレオナルドとビクトルは、ずーっと窓を作る作らないで対立するのだ。偉い!ものすごく恰好悪い!こうありたいかは別だけど。

左がビクトルさん。えらい目力である。突如、壁を壊す男。何をするかわからない過激さを秘めています。右が主人公のレオナルドさん。壁を壊されて困る人。世界的デザイナーらしいのですが、器の小ささも世界的。小物っぷりがたまらないよ!

壁を壊してご挨拶するビクトル。「今度、ここに窓を作ることにしたからよろしくな!」と宣言。呆然とするレオナルド。レオナルドというのはずるかったり、気弱だったり、自分より劣っていると思う人間には強かったり、人が持つずるさの象徴みたいな人である。

ただ、レオナルドはずるいだけの人でもないように見える。ビクトルが自作したという奇妙なオブジェをプレゼントされた際、迷惑だと思っても一応褒めて受け取る。わたしたちも、友人が自分の好みに合わないお土産やプレゼントをくれたときなど、一応は喜んで受け取る。それは、その場をうまくやり過ごしたいとか、相手を傷つけたくないとか、ずるさではあるものの、少しの優しさも入っているように思う。そんな部分もレオナルドからは感じるのだ。「あるある具合」というんでしょうか、それが絶妙なんですよねえ。

最初、レオナルドは「窓を作られるとプライバシーの侵害になるからやめてくれ」と抗議するが、ビクトルから「部屋が暗いので明かりを採り入れたい」と主張されると、その正当な主張にちょっとひるむ。根はそんなに悪くない人なんだと思う。で、ビクトルは強面で「窓越しではなく直接会って話そう」と言うが、レオナルドはなんとか理由を付けて逃げ回る。このせこさがねえ。共感するわー。

レオナルドは、奥さんには「俺がアイツにビシッと言っといたから」と嘘をついてしまう。ビクトルにすごまれると「いや、僕は正直どうでもいいんだけど、実は奥さんが強情で‥‥」と一転弱気になる。ビクトルが「じゃあ、俺から奥さんに話しとくわ」と言われ「それはいい!それはいいから!」となる情けなさ。ただごとならぬ小物っぷり。ほんと情けなくて共感するわー。わたしの生まれ変わりではないか。

で、ビクトルと奥さんの板挟みになって、一人で車の中で泣くという。なにも泣かんでも。

この図、笑わせにきてるなー。お茶目なビクトルさんである。


やはり、面白顔の人はいいなー。この映画は、序盤、隣人のビクトルの粗暴さが際立っているが、やがてレオナルドの卑怯さが押し出されてくる。最初は怖かったビクトルが、実はいい人なのではないか?となってくる。その逆転が面白かったです。

トラブルの元になっていた窓だけど、結局窓を開けたことが幸運にもレオナルドの娘を救うことに繋がる。この一見マイナスのことがプラスに繋がる逆転もいい。アルゼンチン映画というのは「ボンボン」という犬を巡るコメディしか観たことがないのですが、あれも淡々としたみょうなおかしみがありました。少し変わったコメディが観たい人にはいいかもしれません。


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