玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

このブログの内容はすべてフィクションです

反対語の研究

▼友人夫婦の子ター坊(小学5年)から電話があった。「暑いねー。今日ヒマ~?」って、おまえはわたしのことをなんだと思っているのか。ヒマ人ですか。正解。

だが、いくらわたしといえど、平日昼間はふさがっていた。ヒマ人としての努力、研鑽が足りない。夜にお邪魔する。ター坊の夏休みの自由研究を見せてもらう。ノートにはマジックで黒々と「反対語の研究」と書かれている。大学時代にお世話になった先生も、同じようなことをやっていたような。神童かしら。やだ、この子、神童かしら。なぜ、オカマに。

ノートには、思いつきで羅列した語と対応している語が挙げられていた。反対語とはかなり違う。連想ゲームのようでもある。憶えているものを一部書いてみた。

山 ⇔ 川
学校 ⇔ 塾
うわばき ⇔ げたばこ
銃 ⇔ 剣
富士山 ⇔ エベレスト
サッカー選手 ⇔ 野球選手 
白犬 ⇔ 黒猫
コーヒー ⇔ ドロ水
午後の紅茶 ⇔ 午前のお茶
辛そうで辛くない少し辛いラー油 ⇔ 辛くなさそうで辛い少しも辛くないラー油じゃないもの

おまえ、ふざけてるだろ、と思いました。わたしにもしきりに「愛の反対ってなに?」とか「正義の反対って悪?」などと訊いてくる。「愛の反対は裏切り、正義の反対は無関心」と答えた。ター坊は真面目にノートに書き写している。それ、提出する気か。えらく渋い自由研究ですけど大丈夫か。


▼映画を観るときにどんな基準で選んでいるのか。あらためて考えてみると、自分でもよくわかっていなかった。前はただ、好きな映画を観たいと思っていた。じゃあ、好きなジャンルであるSFやミステリーだけ観ているかといえば、好きなものはそんなに観ていない。好きなものは、だいたい想像の枠内に収まるし「やっぱり面白かったね」と思うことは多い。それは確認に近い気もする。

Eテレ(以前の教育テレビ)では、たまに将棋を放送している。解説の人が今の手はどんな意味があるのか、解説をしてくれる。理解できないことも多い。解説を聞いて十手先、ニ十手先の駒の動きを見て、ようやく理解できることがある。この理解できるかできないかのラインというのが一番面白い。

映画も、このラインが好きなのだ。レビューで評価が分かれる作品がある。そういう作品のほうが万人受けするものより面白い。価値観の淵にある作品というか。自分がまったく理解できない作品はそれがどんなに優れていても、わけのわからない外国語を聞いているのと同じかもしれない。自分にわかるかわからないか、ギリギリのところにある作品がわかったとき、価値観の領域も少し広がるような気がするのだ。

だから、映画を選ぶときは自分が観なさそうなもの、嫌いなもの、珍しい国のものなども観るようにしている。好きなものはほっといても観るので。今年観たものでは「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命」がとても良かった。たまにこういう作品に出会えるから嬉しい。

だが、そういうことをやると、地雷を引きまくることもある。「なんだこれ、責任者出てこい!」という映画がGyaoにはある。あまりのつまらなさに悶絶して、結果途中で寝る。それでもいいのだ。
JUGEMテーマ:日記・一般