玉川上水日記

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映画「ルルドの泉で」

ルルドの泉で
Lourdes / 2009年 / オーストリア・フランス・ドイツ / 監督:ジェシカ・ハウスナー /ドラマ


信仰心のない彼女になぜ奇蹟は起きたのか。
【あらすじ】
首から下の麻痺により長年車椅子生活を送ってきたクリスティーヌ。さして信仰心もないが、聖地ルルドへのツアーに参加する。すると、奇蹟が起きて体が動くようになったよ!あれ、なんで、わたしだけ?

【感想】

主人公クリスティーヌ(シルヴィー・テステュー、赤の帽子)は、車椅子ながらいろんなところに出かけており、聖地ルルドよりもローマが楽しいと言う人なんですね。信仰心もない。巡礼というより観光でルルドに来ている。

周囲の人もさまざまで、彼女を助ける大学生のボランティア(レア・セドゥ、写真左)は、ルルドに自分探しにやってきており信仰心などない。いい男がいると車椅子のクリスティーヌをほっぽって男のところに行ってしまう。これは、自分探しじゃなくて男探しでしたー。信仰心以前に常識が欠けているような‥‥。仕方がないので、同室のおばあさんが車椅子を押してくれる。

このおばあさんはかなり信仰心が厚い様子。マリア像に必死に祈っている様子から、かなり深い悩みを抱えていそう。他の巡礼者もそれぞれ悩みを抱えている。だがなぜか、もっとも信仰心の薄いクリスティーヌが、ある日突然立てるようになるのだった。奇蹟を目のあたりにした人々は、最初のうちこそ興奮して喜んでいたが「なぜ信仰心の薄い彼女が?」と妬みだす。嫌な展開になってきたよ。ワクワクしますなあ!

挙句に神父に向かって「なぜ彼女なんでしょうか?」と問い質す者も出る。車椅子の男性は「元に戻らないように祈ろう」と言う。この「元に戻らないように」という言い方が、浮かれているクリスティーヌに冷や水を浴びせるようだった。まあ、嫉妬なんだけどね!

この監督は無心論者なのだと思う。わたしは神様(人格神)の存在を信じていないが、無心論者が持ちそうな疑問がよく描かれているんですね。巡礼者たちは、主人公に起きた奇蹟を見て、奇蹟がなぜ彼女ではなく自分に起きなかったのかと不満に思う。みな神様の存在を疑おうとはしない。神を信じていなければ、そもそも奇蹟などはなく、ただの偶然だったということになる。

この映画を通してみると、宗教とは人生に受け入れがたい不条理が生じたとき、それを受け入れて納得するための装置なのかもしれない。主人公が自分の病気に不満を漏らすと「あなたの苦しみには意味がある」と神父に言わせている。理由については「神の御心」で片付けられてしまい答えは示されない。

キリスト教に限らず、どの宗教でも経典の内容を絶対的に正しいものとし疑うことを許さない。本当に全知全能の神がいるならば、闇雲に教えを盲信する信者ではなく、自分の頭で考えて疑ってみる真摯な態度こそ賞賛すると思うのだけど。人が生み出した宗教という装置は、どれだけの人を幸福に、どれだけの人を不幸にしたのか。

この映画は誰に向けて作られたのだろう。信仰心があるか否か、それによって感想がだいぶ変わるのだと思います。あと、まあ、嫉妬がすごい。それに尽きる。そんなに嫉妬したら、神様もあきれる。おまえだけには奇蹟起こすのやーめた!ってなる。


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