玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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国歌

▼友人が、ツイッターを見るのがしんどいのでやめると言っていた。なんとなくわかるような気もする。内田百間(「けん」は門構えに月)が次のように書いている。

「読書と云う事を、大変立派な事のように考えていたけれど、一字ずつ字を拾って、行を追って、頁をめくって行くのは、他人のおしゃべりを、自分の目で聞いている様なもので、うるさい。目はそんなものを見るための物ではなさそうな気がする」

読書ですらそうなら、ツイッターはなおさらである。などと書いてみましたが、わたしは8人しかフォローしてないのでまったくうるさくない。みんな、もっとつぶやいたらどうなんだと思っている。

▼スポーツの前に行われる国歌独唱をどう聴いていいのかわからない。ふつうに歌っているのはいいとして、歌い上げるというやつが厄介だ。だが、歌う方はプロなのだから「ちょっと上手く歌わなければ」と意識もするだろう。すると、感情を込めたり、抑揚をつけたり、溜めたりということになる。つい、歌い上げてしまう光景をよく見かける。つい、人は歌い上げてしまう。油断できない。

国歌はいつ頃から使われ出したのだろう。ウィキペディアを見ると1876年(明治9年)である。意外と歴史は浅い。国歌の必要性は外交儀礼の場において生じたとある。式典のときなどに互いの国歌を演奏したのだろう。

日本は江戸時代までは鎖国していたから、国歌の必要性がなかった。一つ上の階層が存在したとき、初めて国歌が必要になったわけだ。ということは、そろそろ一つ上の階層について注意すべきときなのではないか。つまり、あれです、宇宙人です。

宇宙人がやってきたとき「え?なに?地球って星歌ないの?野蛮!野蛮ですわー、地球とかマジうけるんですけどお!」ってなる。あいつら、すぐ人を見くだすところがある。そんで「原始的だから食料にしちゃってもいいよね!」ってなる。怖い。なので今は星歌を考えている。ここは、わたしが地球のために考えておかねば。

やっぱり、あれですかね、マイケルの「We are The World」だろうか。しかし、アメリカに屈するようで何か悔しい。あと「ウィア~ザ、ワ~、ウィア~ザ、ワ~」のあとがもう歌えない。宇宙人に食料にされる。
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