玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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システムの一部としてがんばるぞー

▼気温39度。台風にそなえて家の中に避難させていた植木をベランダに戻す作業。結局、台風はこなかった。徒労といえば徒労なわけで、だが防災は徒労に終わるほうがよい。防災により、心の安寧を得たと考えればいいのだろう。朝にして、すでに汗だくになる。台風一過、猛烈な日差し。朝からアイスをキメたいが、アイスは一日一個と決めているので我慢。私はそれができる人間。できる人間。おやつでお腹をいっぱいにしないことを夏休みの目標に掲げ生きていく。

 

 

▼8年ぶりに軽度の尿路結石になった。痛みの場所と種類で尿路結石と察知したので、泣いてのたうちまわる前に病院へ。各種検査で8千円とんで泣く。私の年収がなくなった。すべてがないなった。8千円あればエルデンリングかドラクエ11でも買いたかったな。小学生と同じお金の使い道しか思い浮かばない。

脇腹が痛くなってきたので、へばっている間にForager(フォレジャー)というゲームをプレイ。ちょっとだけゼルダに似ている。謎を解いて土地を購入し、また新たな土地を買って冒険というゲーム。途中からパワーがインフレしてバランスがめちゃくちゃになる。もうちょっと弱くていいんですけど。インディーズゲームの荒々しさを感じて、それもまた風情を感じる。ほほほ。

 

クリア画面はないらしい。ヴォイドというエンドコンテンツのダンジョンの30階をクリアすると実績がもらえるが、それでクリアということかな。少しずつ武器を強くしたり、謎解きをしたり、冒険エリアが増えたり、簡単ではあるが街づくりもできて施設を拡充していくのが楽しい。こういうしみじみしたゲームが好き。

壮絶に見にくいゲーム画面。ドロイドという自動戦闘ロボを増やすと、戦闘は楽になるが何がなんだかわからなくなる。無心でプラスチックのぷちぷちをつぶすのに似たゲーム。途中からドロイドを増やすだけの作業ゲーになるが、面白かったです。奴隷気分を味わいたい人は是非。

 

 

▼いつの間にかオリンピックは終わり、フワちゃんはSNSへの投稿が原因で活動自粛していた。SNSは毎週どこかで炎上している。なぜ炎上のたびに騒ぎになるのかいまだによくわからない。これが時代についていけないということなのかも。一人だけ江戸にいる。

 

芸能人は、会社勤めの人間と違って破天荒さを売りにしている。だから非常識で、非道徳的なのも当たり前に思える。みんなが真面目に働いて、その息苦しい社会に風穴を開けるのが芸能の役目だとするなら、非常識な発言に腹を立てるのも不思議に思える。人と同じことをいっても仕方がないし、少数派の人なのだから。そもそもまともに生きられる人なら、芸能界にいないだろう。バカをやるのが仕事の人に、道徳的発言を求めるのは無茶で「あれはああいう人だから」で済ましてやればと思うのだけど。

 

そういう時代じゃないんですよ、といわれそうだが、本当にそうなのかなと思ってしまう。自分と違う意見を許せない人の多さが怖い。逃げ場のない息苦しさを感じている。子供の頃に漠然といだいていた監視社会のイメージは、ジョージ・オーウェルの『1984年』だった。全体主義国家オセアニアを統治するビッグ・ブラザーによって、国民の一挙手一投足は厳しく監視され、反政府的な意見を持つことは許されない。

 

今では仕事でも娯楽でもSNSに触れない日はなくなった。政府からの監視などはないのだが、私たちが私たちの発言を監視しあっている。不謹慎な言葉があれば、その投稿は拡散され、過去の発言も掘り起こされ、個人や所属する組織を特定されることもある。誹謗中傷にさらされることになる。拡散の目的もさまざまで、個人の憤りや嫉妬という単純なものから、ビューによる収入を得ることを目的としたインフルエンサーやニュースサイトがとりあげることもある。ビューに応じて企業は投稿者に報酬を支払う。上からの統治ならば革命や体制の崩壊によって終わるだろう。だが、私たち自身がシステムの利用者であり、監視者であり、システムの一部なのだ。このシステムからの解放はあるのだろうか。あるとすればどういった形なのかを考えている。

そして私はSNSでショート動画を観続けてしまう。昭和レトロな感じの處内省(どないしょう)のCMが不気味で好き。関西弁の「どないしよう」なのかな。

 

 

▼映画の感想『坂の途中の家』『君の膵臓をたべたい』を書きました。『坂の途中の家』はWOWOW制作のもので児童虐待、裁判員裁判などを扱ったもの。育児の苦しさが描かれており見応えのある作品でした。もう観たくない。

 

君の膵臓をたべたい』は難病恋愛もの。そういうの好きな方はという。