玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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他人の趣味

▼夜はタオルケットだけでは肌寒くなった。少し前は36度だったのに。唐突に秋。

GoogleのAI『ImageFX』で生成。あまり話題になっていないけど、他の生成AIより質が高い。デフォルトサイズが1024×1024で解像度がある程度高いのもいい。人物の造型にも優れ、AIが苦手な手指の生成もきれい。完成した画像を判定して、不自然なものは弾くようになっているらしい。ここで生成したものを他のAIでスケールアップする使い方もできるかもしれない。

 

 

▼相変わらず米が高いのでパン、餅、サツマイモ、冷凍おにぎり、ソーメン、パスタなどを食べている。もうちょっと米が食べたくなるかと思いきや、そうでもないんだな。そもそも冷凍おにぎりや餅は米だけど。餅を賽の目に切って炒めて、オムレツのように卵焼きの具にすると餅がふんわりして美味しい。餅卵焼きばかり食べている秋だ。

 

 

▼大谷選手が50-50(1シーズン内で本塁打50本、盗塁50個)を達成していた。朝、眠い目をこすりながら大谷の3打席目まで見て再び就寝。肝心の50本目となるホームランを見逃した。まさか寝た後に3打席連続ホームランを打つとは思わなかった。そんなことあるんかいという話ですけど。そもそも6打数6安打というのがめちゃくちゃで、今までに見た記憶がない。

 

起きた後、打ち合わせへ。打ち合わせでも大谷選手の話題で持ち切り、ということはなく、野球になんの興味もない人たちなのだった。国公立大のクイズ研出身の出木杉くんは「50-50で騒ぐ意味ってなんなんですか? 49-49や51-51とどう違うんですか。意味がわかりません」と冷静。たしかにそうなのだ。

 

大谷の50-50という記録はメジャーリーグ創設以来、達成者がいなかった。今までの記録は42-42が最高で、43-43以上は存在しなかった。そうすると43、44、45なども価値があるわけで50-50だけ騒ぐのも奇妙に思える。51-51、52-52以降はどうなのかとなってくる。このことは以前、ロバーツ監督も「人は丸い数字が好き」という独特な表現で触れていた。単に50-50というキリが良い数字が好きで騒いでいるのだ。だが、そんなことはわかっていてもコレクターは50-50の記念球に何千万、あるいは1億円以上の値段をつけるだろう。

 

出木杉くんは「大谷のニュースばかり多すぎる」「ただ、棒でボール打つことが得意なだけで、誰が打とうがたいした違いはない」という。出木杉くんは鉄道が好きなので、野球ではなく新幹線の「つばさ」E8系とE3系を特集せよとのことだった。E8系もE3系もどちらも「つばさ」なら同じなのではと思うが、何か違いがあるのだろう。訊くと、30分ぐらい説明されそうだから訊かない。

 

少しの差が、好きな人によって大きな違いなのだろう。その違いがわかるために生きているといってもいいのかも。大谷が50本打とうが100本打とうが、E8系とE3系がどう違うとか、ファン以外にはどうでもいい。好きなものについては、みなうるさくなってしまう。料理でも、茶碗でも、絵画でも、本でも、ファッションでも、門外漢には同じでも、ファンが見ればまったく価値が違う。私も「ロッキー5」と「ロッキー・ザ・ファイナル」を「どっちでも一緒」といわれたときは、暴力を振るいそうになってしまったな。いけないいけない。人間にはあまり暴力を振るってはいけないのです。

 

好きになればなるほど違いがわかるわけで、じゃあ、なんにでもこだわりを持てばいいかというと、それはそれで大変にも思える。知人で、ペン一本買うにも伊東屋などの専門店に行く人がいる。ペンはこれ、ハサミはこれ、定規はこれ、という具合で、文房具だけならいいが、生活する上で必要なすべてのものを吟味して買うという。そうなってしまうと、大変だなと思う。人というのも、そういった対象に入るのだろうか。顔の好みというのは、誰にだってある。顔や体に強いこだわりを持ってしまった場合、好みではない人を完全に受け入れられなくなるのだろうか。それはそれで厄介なこと。

 

趣味嗜好が自分の中だけで完結している分にはかまわないが、人の趣味について「ちっとも面白くない」とか「意味がない」とか、ケチをつけだしたらまずい。いつだったか、おぎやはぎのやはぎさんが「自分にはわからない良い物がある」といっていた。すばらしい言葉。社会には寛容さが必要とされている。私も、あの適当メガネの精神で生きていく。

 

 

▼映画の感想『ザ・フード アメリカ巨大食品メーカー』を書きました。食品メーカーの歴史、アメリカ食文化の変遷を描いたドキュメンタリー。歴史好きの方ははまると思います。とても面白かったです。