玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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マリー・アントワネットのあれ

▼小指の先ほどの黒蜘蛛が部屋に出た。捕まえようとするとパッと消えて、隣に瞬間移動する。蜘蛛ってあんなに早く動けるのだなと感心する。コップをかぶせて、チラシを下から滑り込ませ、コップの口を塞いで捕獲した。ベランダの植木の上に逃がす。私が地獄に落ちたとき、極楽から蜘蛛の糸を垂らしてくれたまえ。

 

9月が始まる。

 

 

▼暑さはだいぶやわらいできた。ここ何日かは冷房をつけずに過ごしている。35度以上でなければ、冷房をつけなくても平気な体となった。馴らされてしまったな。異常と思えても、人は過酷な環境に意外と早く適応できるのかもしれない。いつか45度が当たり前の世界がきて「40度まではエアコンなしで過ごせるな。今日は涼しい」などと、いいだしかねない。それはそれで嫌だよ。

今日も今日とてアイスの『パキシエル』をパキパキと食べている。ひたすらに甘いアイス。太りそ。エンゲル係数内のアイスに占める割合、アイスエンゲル係数が怖ろしいことになっている。

 

 

▼大谷選手が40-40を達成したニュースを見る。40-40とはホームラン40本、盗塁40を1シーズンの間に達成することで、メジャーリーグの歴史でも大谷選手を含めて6人しか達成者がいない。細かいことをいえば、今年はピッチクロックによる牽制ルールの変更(ピッチャーが3回目の牽制に失敗するとランナーは進塁できる)が大きな影響を与えた。盗塁は去年までより、格段にやりやすくなっている。

 

とはいえ、偉大な記録なのは間違いない。エンゼルス時代の大谷の走塁は上手とはいえなかった。自分の速さをもてあましているというか、セカンドベースを行き過ぎてしまい、体がベースから離れてアウトになるケースを何度か見た。あんなヘンテコなアウトは大谷ぐらいかも。そそっかしい人なのかと思ったが、あまりにスピードが早すぎて自分の体を御せなかったのかもしれない。なにもかも規格外で変わっている。もちろん今年はそんな凡ミスもなくなった。

大谷の活躍を記念し、球場でファンに金のボブルヘッド人形が配られた。スポーツにしろ映画にしろ科学技術にしろアメリカは常に第一線にいると思うが、こと人形に関してはポンコツなのがアメリカではないか。毎回「なぜこのクオリティの物を出しますか」という商品が多い。1ミリも欲しくない。利権か? 利権だな? 間違いない。利権があるのか、この人形。全然、大谷に似てないし金の不気味なおっさんでしかない。家に置くとよくないことが起こりそう。元近鉄で、楽天や日ハムの監督を務めた梨田に似てる気がする。

梨田は名監督だ。中日の監督をやってほしい。梨田のことはさておきだ。大谷選手の40本目のホームランは9回裏2アウトからのサヨナラ満塁ホームランという劇的なものだった。客席でもドラマは起きていた。大谷のホームランをファンが一度はグラブに収めたものの、隣のファンと接触してしまい、ボールは弾かれてグラウンドへ落ちてしまう。落としたファンは頭を抱えていた。メジャー史上6人しかいない40-40の記念ボールとなれば一千万円は超えるだろう。一度はグラブに入れつつ落としてしまったのだから、絶望して頭も抱える。申し訳ないが笑ってしまった。観ていて、 あー、これ一生後悔するわー! ずっと夢に出るわー! ってなった。一千万払って、酒場で笑いがとれる話をもらったと思えば、それもいいかもしれない。

 

私も野球ファンだけど、なぜ記念ボールにあれほどの値段がつくのかわからない。日本の野球殿堂博物館にもさまざまな記念ボールが陳列されている。ただ、どんなすごい記録であっても「ただのボールでは?」と思ってしまう。その偉大な記録に至るまでの積み重ねられたドラマや物語があるだろうよ、といえばそれはもちろんそうだが、やはり「球じゃん」としか思えないのだ。これは王の何号のホームランとか、ノーヒットノーランの球とか、いわれてもどれも球である。「球ですね」以外の感想がない。そういうものをわざわざ見に行くファンの気が知れない。私ですけど。

 

 

▼いつの間にか家の米が尽きた。ネットも店も米がないし、あってもやたら高い。米騒動が起きていた。江戸か。

 

平成にも米騒動があった。スーパーで買占めが起きたこともあった。パニックになって外米を買う人もいた。あの頃の教訓がまだ生きているのか、今回はそこまでうろたえる人はいないように思う。米以外の物は普通に売られているのだ。

 

会議で、打ち合わせの相手が今回の米騒動について「パンがなければケーキを食べればいいんだから」といった。だが、それはどうかと思う。パンもケーキも原料は小麦なのだから、パンがない状態ではケーキもないことになる。しかもケーキはパンより高価だから庶民には手が出にくいだろう。この人は、米がなければパンや麺類などを食べればいいという意味でいったのだろう。いわんとしたことはわかる。

 

この言葉はマリー・アントワネットがいかに世間知らずだったかを笑うエピソードとして伝えられているので、米騒動の引用としても適当ではないように思う。さらに今ではマリー・アントワネットがいった言葉ではないことも判明している。ルソーの『告白録』の中に出てくる大公夫人の言葉がいつの間にかひとり歩きし、マリー・アントワネットの言葉とされてしまった。そもそもルソーが『告白録』を書いたとき、マリー・アントワネットは子供だったし、ルイ16世ともまだ結婚していない。ルソーも彼女のことを知らなかっただろう。

 

さらにいえば、マリー・アントワネットはパンの価格が上がって庶民が苦しんでいることを嘆いてる手紙を残している。パンがなければケーキをというような、浅慮で酷薄な人ではなかったのではないか。というようなことが頭をよぎり、これはその、なんといったものかと思って、結局なにもいえず黙ってしまった。私はたまに打ち合わせ中、石になる。

 

部屋に奇妙な虫がでる女こと虫ちゃんが「私、米よりパンが好きなんですよね~。だから全然平気」といって、その場はなんとなく流れた。そうか、あれが正解だったのかと帰りのエレベーターの中でしみじみ思った。雑談における正解がわからない。帰りの道すがら「私、米よりパンが好きなんですよね~」と繰り返した。虫ちゃんが「え、え、え、なんですか‥‥怖いんですけど!」という。「正解を忘れないために繰り返している」というと、ああ、いつもの病気ですかというようにスマホに目を落としていた。新学期の目標は、世間話が上手になりたいになった。9月からがんばろう。

 

遮断機が降りて電車の通過を待っていると「線路に石を置いたり、物を投げ込んだりしないでください」という注意書きが目にとまった。いちいち書かないと、こういうことをやる人がいるのかな。「見て見て! 治安の悪い地域!」と看板を指さすと、虫ちゃんに「本当にこういうの好きですよね」と呆れられる。こういう大好物を見ると、不思議と元気になってしまうな。まだまだ私は生きていける。

 

 

▼私信。日記が復活してたけど、結局やめてなかったってこと~? それなら嬉しい。書いて書いて。

 

 

▼映画の感想『両刃の斧』を書きました。犯罪被害者家族に焦点をあてたサスペンスドラマ。柴田恭兵さんがよかったですね。